常に役職に就いていた中学生の私は、優等生というネームプレートを付けて歩いているような子だった。ヘルメットをきちんと被り、膝下丈のスカート。もしスカートを短くしていたら、多方面から非難されるだろう。
私は何よりも怒られることが怖かった。みんなと同じじゃないと不安になる臆病者だ。だから私にとってルールはコンパスのようなもの。ルールがないと、道に迷ってしまう。だから、当たり前のようにルールを破る同級生に羨ましさを感じていた。毎日怒られてもそれに屈しない主張があること、周りの視線を気にせずに自分を貫けること、私にはできないから。
中学を卒業してからも、ルールを道標に真っ直ぐ進み続けた。高校は首席で卒業。大学でも英語サークルに忙しいゼミ。道を踏み外そうなことは極力避けて一切寄り道をしなかった。
その努力が実ったのか、ルールは私を高いところまで導く。東京の大企業に就職が決まったのだ。東京に上京する私を両親はひどく心配していた。
「夜遊びはしちゃダメだからね。東京には危ない人がいっぱいいるんだから。」
何度も私に言い聞かせていた。私の性格上、そんなことできるはずがないのに。
華々しい経歴と引き換えに手に入れた想像を絶するほどつまらない毎日
就職してからも今まで通り、真面目に一生懸命働いた。毎日朝早く職場に向かい、夜遅くに帰宅する。華々しい経歴と引き換えに、想像を絶するほどのつまらない毎日が待っていた。
道を踏み外さないように真っ直ぐ生きてきたつもりだったけれど、果たして正解だったのだろうか。寄り道して迷いながら道を見つけてきた人の方が充実して見えるのはなぜだろうか。
私の中でむくむく浮き上がる欲。刺激がほしい。つまらない毎日を変えたい。私はついに1日だけルールを破ろうと決意した。今まではあり得ないメッセージを友人に送る。
「今から遊ばない?渋谷で。」
夜22時だった。
意外に乗り気だった友人と集合して夜のスクランブル交差点を歩く。「知り合いがここで彼氏できたらしいよ」と友人がウキウキしながら相席屋を指差している。さすがにここに入るのは怖い。絶対危ない人がいる。
私の焦りもお構いなしに「そっちが誘ってきたんだから、やっぱり帰ろうよはなしね」と釘を刺され、渋々店内に入っていった。急にルールを破ってしまったことが怖くなった。帰れなくなってしまったらどうしよう。
東京の遊び方を知りつくした別世界な彼らと何時間も話して
心配とは裏腹に、私たちが座る席にいたのは、同年代くらいの大学生だった。普通の大学生だと拍子抜けしながら席に座る。向こうが話し上手だったため、話が弾んで何時間も色んな話をした。
知らない人とこんなに話すのは初めてだ。彼らは有名私立大学の学生で東京の遊び方を知り尽くしていた。海外を何十カ国も周っていたり、起業の準備をしているだとか、刺激的な話しばかりだ。なんて別世界の人たちなんだろう。
そして何より彼が語った海外に行く理由に驚いた。
「机の上で学ぶより自分の目で、足で、全部自分で経験したいんだ。俺は経験のないことをなくしていきたい。やったこともないのに、イメージや人の話だけで否定して自分の世界を狭めるのもったいないからさ。」
私みたいにルールがないと歩けない人間とは違う。自分で自分のルールを作り、その上を歩いている。私は誰の作った何のためのルールに従って生きてきたのだろうか。
「そろそろクラブ行かない?」と彼が言った。クラブなんて絶対行ってはいけないと思っていたけれど、彼の言葉に背中を押された。人生で1回くらい冒険したっていいいじゃないか。一生行くはずのなかったクラブに足を踏み入れた。
音楽が鳴り響くフロアに踊り狂う人たち。私たちもその中に入り、わけもわからぬまま体を動かす。ストレスが音楽に流されていく感覚にテンションがどんどん上がっていく。最高の夜だった。初めての朝帰り、東京の空も綺麗で眩しいことを知った。
自分の足で経験して、寄り道しながら自分だけのルールが作られていく
たった1度だけルールを破ったあの夜は、忘れられない1日になった。
ルールを破ったからこそ、気付かされたことがある。私はルール通りに生きれば人生を間違えないと信じていた。自分で経験していないくせに誰かに批判されそうだからあればダメ、これはダメ。どんどん自分の世界を小さくしながら。彼のように自分の足で経験して、これは良い、これはダメ。そうやって寄り道しながら自分だけのルールが作られていく。誰かが作ったルールじゃなくて、自分だけのルールを持つこと。それが今の私に必要なことだった。
今でもたまに夜遊びをする。クラブに行ったり、ダーツをしたり。ストレスが溜まった週末には友達たちと夜遊びをする。それが私の新しいルール。平日には、毎日旅行の本を開く。両親から否定されていた海外への一人旅。行ってみようと思っている。
自分の足で私のルールを見つけるために。