ある日、わたしは働けなくなった。

22歳、社会人としての新しい生活にワクワクしていた矢先に躁うつ病を発症、入社1ヶ月で休職をすることになってしまったのだ。

そのまま2ヶ月会社を休んだけれど、症状は一進一退を繰り返し、自分で自分をコントロールできない日々に限界を感じたわたしは、もう復帰はできないと諦め、そのまま会社を辞めた。いわゆる短期離職をしてしまったのだ。

躁うつ病になった私は短期離職を繰り返し、毎日のように自分を責めた

短期離職をしてしまったという事実は、わたしの自信を喪失させるのには充分だった。人並みに働けない自分が情けなくて、そんな自分を変えたくて、症状が落ち着くのを待たずにすぐ就職活動を始めた。

当然、そんな行動に躁うつ病を抱えた心身がついていけるはずもなく。それから何度も、会社に入っては出勤ができなくなって退職、を繰り返した。1ヶ月ももたずに辞めてしまった会社もあった。

何度も短期離職を繰り返す自分。同い年の友人たちは、愚痴をこぼしながらも毎日きちんと会社に行って、仕事をこなして、お金を稼いでいるのに。なんて情けないんだろうと、毎日のように自分を責めた。

心のどこかで「人並みに働けなきゃ一人前じゃない」みたいな考えがあって、ちょっと調子のいいときや、躁状態のときは闇雲に就職活動を始め、うつ期に入るとパタリと辞めて、ということを繰り返した。

「働かない」という選択肢も視野に入れて考え直してみようと思った

とにかく働かなきゃいけない、自分でお金を稼がなきゃいけない。そんな考えが頭の中を支配していた。つい最近も躁状態になって、旦那に「また就職活動をする!」と宣言した。

当然、旦那は心配そうだった。そして、「無理に働かなくたって、障害年金をもらうとか、そういうこともできるんだから……」と言ってくれた。だけど、躁状態で周りが見えなくなっているわたしは耳を貸さなかった。

そうこうしているうちにまたうつ状態になって、ああ、こんなんじゃ自分は働けないなとやっと認めて。1度、「働かない」という選択肢も視野に入れて色々考え直してみよう、と思った。

何もキャリアを積むことだけが「一人前」になる方法じゃない。主婦として家のことをきちんとこなすこと、表現者としてひたむきに創作に打ち込むこと、それだってわたしを一人前にしてくれるはずだ。自分にできること、目の前のことをコツコツこなすことだって大切じゃないか。そう考えられるようになってきた。

体調のいいときは「働きたい」という意欲もわくから、そういうときは短期のアルバイトをしてみてもいい。働きたいときだけ働く、という働き方があってもいいと思うのだ。

それでは経済的な不安が消えないから、障害年金も申請してみることに決めた。最初は躊躇したけれど、旦那の「今まで散々病気で苦労してきたんだから、もらえるものはもらっておきなよ」のひとことで、それもそうだなと納得できた。

「働かない」選択肢を考えたら、家事も創作も楽しめるようになった

「働かない」という選択肢を選べるようになるまでに、ずいぶんと時間がかかってしまったけれど。キャリアを積むことがすべてじゃない、と思えるようになってから、前よりも家事や創作を楽しめるようになってきた。

今までは家事をしていても「わたしも外で働かなきゃ……」と焦っていたし、創作をしていても「こんなお金にならないことをして何になるんだろう」と思ってしまっていたから、それがなくなったのが大きいのだと思う。

今の目標は毎日の家事をきちんとこなすことと、ひとりでもいいから自分の作品のファンを作ることだ。たとえキャリアを積めなくても、それらの目標を達成していくことで、わたしは「一人前」になれると思っている。

いや、そもそも「一人前」になんてなれなくてもいいのだ。半人前なら半人前なりに、目の前にある毎日をコツコツ生きていけばいい。もっと気楽に、毎日を生きたっていい。躁うつ病になって2年以上経って、やっとそう思えるようになった。

「無理に頑張らなくてもいいじゃない」と助言をくれた旦那に、心からの感謝を。そして、「働けない自分」を許すことができたわたしに、心からの拍手を贈りたい。