私には戻りたいと思う一日がある。きっとあの一日、あの一瞬の思いが、私の一生を変えることになった。

高校生の頃の私は、「努力」すればどんなことも手に入ると思っていた

私は、義務教育までは人並みに生きていた。いや、むしろ勉強なんてしなかったし、テストの結果なんて気にしなかったし、ただただ学校に行けばいいと思っていた。一日一日をこなしているという感覚だ。

そんな私にも、この頃から抱いていた夢は医療従事者になること。もっというと、助産師に憧れていた。小さいときは、医師に憧れていた。しかし、気づいたときには、何も考えずに決めた高校に入学していた。

その高校で入った部活で、私の志は再び医療従事者になることへと戻るのだ。今まで、誰にも話すことのなかった私の夢を先輩に話したことがきっかけとなり、まだ医療従事者になるチャンスがあるのだと知ることが出来たのだ。この出来事がなければ、きっと私は普通にこだわりもなく就職することになっただろう。

高校では、勉強と部活の両立。最も活動日数の多く、厳しい部活に入り、学業もトップクラスから外れることのないよう勉強をしていた。この頃は、理想に近づくためならどんな努力もしていたような気がする。

そう、努力をしていればどんなことだって手に入ると思っていた。そうなるはずだったのだ。

看護実習一日目。自分の考えも意思も通用せず、行きたくないと思った

私は、看護学校に入学し、勉強をして助産師になる切符まで手にしていたのだ。ここまで、来れたのは高校生活があったからだと、つくづく感じていた。

そして時は巡り、看護実習でのある一日。私が戻りたい日。施設での実習だった。いままでの病院実習とは異なり、自分の考えも意思も通用しなかった。指導担当の看護師に理不尽に怒られ、自分の考えを説明するも通用せず、何度も怒られる。

何をしてもダメだと思った。もう行きたくないという思考がよぎってしまったのだ。この一瞬の感情が全ての始まりだったのだ。

私の脳内は行かなくてもいい理由を探し続けるのだ。そのためだったら、命を落としてもいいとも思っていた。周りも自分さえも、上手くみることが出来ない。この自己防衛の思考が働いてしまったがために、初めての精神疾患になったのだ。

この精神疾患は、実に厄介だ。一回経験してしまうと、ストレスに思うことがあるとすぐに逃げるための思考が脳内に駆け巡る。気持ちの問題とは信じたくないが、少なからず逃げたいと考えてしまったことは事実なのだ。

高校時代に鍛えた忍耐力など皆無だ。精神論では、どうにも出来ない身体症状に繋がってしまう。

今まで何年も積み重ねてきた思いや時間が「一瞬にして」散っていった

その結果、私は助産師になる道から外れることになり、看護師になって働くも精神疾患の再発により、看護師からの道からも外れた。

今まで何年も積み重ねてきた思いや時間が一瞬にして散っていった。努力ではどうにも出来ないことがあると知った瞬間だ。

あの日までの私は、医療従事者になってたくさんの命を救い、守ることに憧れている。仕事に生きると決めていた。いや、仕事という名の夢や希望に生かされていたのだ。

夢を一生懸命追いかける姿が楽しそうだ。未来の自分が何を言おうと、そんなはずはない。どんな壁だって努力で乗り越えられると信じてやまないだろう。

どうにかして、すべて理想の自分になってみたいものだ。人生は、そう簡単には理想の姿をみせてくれないものなのか。

そうして、私はあの日に戻っても、また同じことを思ってしまうのだろうか。