今年の私の夏は、エッセイと共にあった。今までの人生で、最も多くエッセイを書いた。別にエッセイを書く夏にしよう、と思っていたわけではなく、気づいたらそうなっていた。
学生の頃から小説を読むのが好きで、何度も感動して泣いたり、人生で感じたことのない気持ちになったりした。その度に、言葉や文章という一つの要素だけで感動させることが出来る作家の人はすごい、と思った。だから、私も作家になりたいと思った。
だが、作家になる方法が分からなかった。なんとなく、新人賞などで受賞してデビューする、というのが頭にあるくらいだった。
私は文章を書く仕事がしたかったけど、自分の気持ちに蓋をしていた
それは、自分にとってあまりにも現実味のない話だった。そもそも、小説の公募自体、規定の文字数が何万字などで長いため、書く前から諦めている節もあった。
結局、人生の夏休みともいわれる大学生の期間に応募した文芸の公募は、せいぜい二回ほどだった。そしてそれも、何か受賞することもなく、やっぱり才能がないのだ、と言い訳をして自分の気持ちに蓋をした。
正確にいえば作家でなくても、文章を書く仕事がしたかったのだが、いずれにしてもなり方が分からなかった。そのまま私は就職して社会人になった。文章とは程遠い職種であった。それから数年、蓋をされた気持ちは日の目を見ることはなかった。
だが今年に入り、私は男性がアイドルを目指すオーディション番組を見つけた。番組を見るうちに推しが出来た。彼もまた、夢を諦めて就職したがやはり諦めきれず、挑戦したそうだ。
彼が日々もがきながらも成長していく姿を見て、夢っていいな、と思った。デビューメンバーに彼が選ばれたのは6月のことだった。番組が終わり、推しは夢のために頑張っているが、自分はどうだろう、と思った。
初めて書いたエッセイが掲載された時、社会から肯定された気がした
そして、やっぱり文章を書く仕事がしたいと思っていることに気づいた。だから私はもう一度挑戦することにした。自分が納得いくまでやってみて、それでもだめなら、またその時に考えようと思った。
そう決めた私は、ネットで文芸の公募を探した。そして見つけたのが「かがみよかがみ」だった。テーマは「共学・別学に思うこと」。とりあえず書いて、締切に間に合わせた。
人生で初めて書いたエッセイは、幸運にも掲載されることになった。変な言い方かもしれないが、掲載が決まった時になんだか社会から肯定されたような気がした。自分の存在が認められたような、そんな気持ちだった。
初めて応募した7月の中旬から、ほぼ毎週応募するようになった。書きやすいテーマが多く、私にとってちょうどよい文字数でもあった。ほとんど毎日エッセイに向きあうようになった。義務ではなく自分の意思で、パソコンの前に座っていた。
出会いは偶然だったけれど、エッセイを書くのが習慣となった夏だった。今までならSNSを見ていた時間が、エッセイにあてられた。
自分から発信し続けたら、何かが変わり誰かが見つけてくれるかも!
エッセイには終わりがない。一度書き終えても、読み返す度に気になる所が出てくる。もっと良い表現があるような気がする。
それと同じで、夢にも終わりがない。だが、文章を書く仕事がしたい、というゴールのようなものはあるが、具体的にどんな仕事がしたいのか、とかどうやってそこまでたどりつくのか、そういったものにはまだもやがかかった状態だ。
それでも、「かがみよかがみ」が書き手として定める、29歳が一つの区切りだと思っている。それまでに今の自分と比べて何かしら良い変化があるといいなと思っている。というか、きっとあると思っている。
そう思えるのは、この夏の自分のおかげだ。自分から発信することを続けたら、何かが変わると気づいた。誰かが見つけてくれる、かもしれない。
現に私は、自分のエッセイをサイトに載せてもらえた。それは確実に大きな一歩だった。方法が分からないからと言って、指をくわえて待っていても仕方がない。
だから、希望を抱きながら、自分が納得するまでエッセイを、文章を、書き続けようと思う。夢が現実になるその日まで。