変わりたくない私と、変わりたい私。
変わりたくない社会と、変わりたい社会。
「覚悟を持って留学に行ったんじゃないの?」彼の言葉に抱く疑問
去年の冬、コロナで留学が延期になった。予定が狂った。落ち込んでいた。過去の恋愛の傷も負っていた。何もかもうまく行かないと思った。
コロナ期間中に出会った彼。コロナがなければ出会わなかったであろう、ある意味運命の出会い。
たくさん旅行に行って、思い出を作った。また傷つけられるかもしれない不安と、この人なら信じても大丈夫だという希望と、アンビバレントな感情を持って、それでも毎日楽しく過ごしていた。
今年の夏、留学が再開する。彼と離れることに。一時期だけの別れだと、辛抱しようと誓い合って駅のホームでさよなら。
電話では会えない寂しさが募り喧嘩に。ハグで仲直りすることもできない。覚悟を持って留学に行ったんじゃないのと言われたけど、コロナで先の状況が見えない中で、覚悟なんか持てなかった。喧嘩が重なって、別れることに。
留学に行かなかったらそのまま一緒にいられたの?行動して、自分が変化することはこんなにも不幸を生んでしまうんだろうか。留学なんか行かずに、変化しない私だったら、幸せだった時間を保てたのだろうか。
変わりたくない、大切な時間がある。変わったら壊れてしまうものがあるから。変わりたくないと強く思う私がいる。
何かしなきゃ後退してしまう。そんな変わらない自分に焦っていた
私は海外好きで、挑戦が好きで、まるで田舎に染まらない性格だ。中学生の頃から、夏はどこかが開催するサマープログラムに参加しては、常に自分に変化を求めてきた。
コロナになって、学校も行けず、何かに挑戦することもできず、変わっていない自分に焦り出す。何かしなきゃ自分は後退してしまうのではないかと思う。
去年の夏から、変わる努力を色々してみた。株を初めて、経済の勉強もしだした。新しく中国語を始めて資格を取った。フランス語の大学院に進学するための語学の資格にも合格した。
自己鍛錬の日々だが、そんな生活もづづくと、自己完結的な変化では満足できなくなってきて、社会ともっと関わることがしたいと思うようになった。自分の変化のスピードが遅いのではないかとも感じた。
変わらないっていいな。と思える「変わらない社会」に触れてみて…
そして、今年の夏、変化のためにまたもがいてみている。noteを始めてみた、初めてのエッセイの応募してみた。オンライン交流事業にも応募してみた。
私は常に変わりたいと思っていて、変化のための挑戦をやめたくないとも思っている。変わりたいと強く思う私がいる。
私の住んでいる田舎は、DXもコロナも関係ないみたい。留学にあたり、荷物をまとめるために実家に帰省した。
人々はいつも通り、魚をとって、野菜を育て、扇風機の風に当たり、蚊取り線香を焚いて過ごしている。
おじいちゃんと近くの山で取れる茗荷を採集して、車で20分のスーパーに売りにいく。1袋12個ほど入って100円。私たちの収入は60%の60円。今年の夏のおじいちゃんの臨時収入は5000円くらいにはなるだろうか。
夏野菜のきゅうりと茄子が今年も大きく実った。収穫して、お漬物にする。
近くの釣り堀にマスを釣りに行って、内臓を自分たちでとって焼く。ずっと変わらない暮らし。
変わらないっていいなって思う。心落ち着いて、焦らなくてもいいって教えてくれてるみたい。変わらない社会がある。
ものすごいスピードで変わる社会。アンビバレントに気持ちは揺れる
大学生活も一変した。人々の生活も大きく変わった。まだまだ課題は山積みだとしても、リモートワークが増えて、家族と過ごす時間が増えたことはいい変化。家族を顧みず仕事第一優先という時代の日本は変わりつつある。
人生を豊かに楽しむ人が増えていると感じる。社会も、SDGsが浸透し、ミニマルな生活をして、物質的豊かさから質的豊かさへ変換が起き、地球に配慮した社会になってきている。
会社はコロナ時代にあったビジネスに転換している。
レジャーや休暇の過ごし方、生活様式の新しい楽しみ方を人々は見つけている。zoomやSMSのテクノロジーが新しい生き方を提供している。社会はどんな時代でも変化を止めない。
ものすごいスピードで変わっていく社会がある。
変わらない私、変わる私。変わらない社会と変わる社会。アンビバレントにこの気持ちがゆらりゆらりする、今年の夏。