わたしの最終学歴は、大学中退の高卒だ。わたしは他人の学歴も肩書きも、良い意味で何も思わない。
何か事情があったり、その時の自分が選択したり、何が正しいとか間違ってるとか、普通とか普通じゃないとか、そういうことではないと思っている。自分を除いては。
小学校中学校と地元の学校に通い、高校はあまり頭の良い学校ではなかったけど3年間きちんと通って、中の上くらいの成績で卒業して、推薦で大学に進んだ。
このまま“普通に”大学に4年間通って、“普通に”新卒として就職するんだろうと思っていた。

「これが、わたしなんだ」。高卒なのに職歴のない22歳

わたしの“普通”ってなんだったんだろう。実はそれって、とてもとても高い“理想”だったんじゃないかな。大学2年で精神を患い、3年後期に休学。4年前期に復学したが、同期の卒業と一緒に自主退学した。
退学後、少ししてから仕事を探し始めた。もう大学に籍がないから履歴書やエントリーシートの添削も頼めず、面接練習もせず、何も分からずに中途採用で就活を始めた。
大学に計3年半通ったわたしの最終学歴は、高卒。企業に簡単にエントリーできるようサイトが作ったWEB履歴書にいるわたしは、高卒なのに職歴のない22歳。「これが、わたしなんだ」と思った。
大学3年の頃、「休学したい」と呟いたわたしに母が放った「もう少し頑張れないの?」は、わたしの甘えを見抜いていただけではなく、現代の就活における“普通”の肩書きの大切さを知っての言葉だったと気づいた。
高校卒業後に空白の4年間がある22歳を、誰が欲しがるだろう。それに加えて重なったコロナ禍。わたしが企業側なら、戦力になりそうもないこんな履歴書に目を通す気にもなれない。

高卒で職歴のないコロナ禍の就活は3週間で終わった

WEB履歴書ではまず面接に辿り着けないと察し、企業に直接連絡できるようなサイトで就活を始めた。経歴がバレていないためか、すぐに面接の機会をいただいた。
面接で、本当のことは言えなかった。精神を患ったことが知られたとして、それでもこの人を採用したいと思わせるような強みはなかった。休学理由を親戚の介護、退学理由を経済的要因と伝えた。
普通ではなくなってしまった学歴を、少しでも普通に見えるよう上から塗り直して、塗り直した面の綺麗さで内定が決まる。わたしは、塗り直しが上手だった。
すぐに内定をいただき、高卒なのに職歴のないコロナ禍の就活は、3週間でぬるっと終わった。
新卒の同期ですら何十社と不採用通知をもらう、コロナ禍の就活。高卒で中途のわたしが短期間で内定をいただけたことは、本当に恵まれている。そう思うべきなのは分かっている。

わたしの履歴書には欠点しかない。普通の学歴が欲しかった

それでもわたしは、普通の就活をしたかった。昔思い描いていた普通の大学生活も、普通の就活も、わたしは経験していない。とてつもなく高い理想が“普通”とされるこの世の中で、わたしの履歴書には欠点しかなかった。
普通の学歴が欲しかった。普通の履歴書を書きたかった。普通のエントリーシートが書きたかった。普通の面接練習をしたかった。周りの新卒と争いながら、時にはインターンで協力しながら、内定を勝ち取りたかった。同期と同じように。
同期から3ヶ月遅れて、社会人になった。「3週間で内定なんてすごいよ」。その言葉に込められた純粋な祝福が、わたしには羨ましかった。
並々ならぬ努力の末に手に入れた、“普通”の履歴書。そして星のようにいる新卒の中で内定を勝ち取る精神力。すごいのは、みんなの方だ。
世の中の”普通“は、とてつもなく高い”理想“だった