2年前の26歳。結婚してから変わった事。
名字、居住地、ベッドの広さ。そして初対面で聞かれる質問だ。
「子供いるの?」
初めて聞かれたときはちょっと引いた。
「失礼じゃない?」
言いたかったけど言えなかった。相手に悪気はもちろんないだろう。
「好きな食べ物なに?」と同じような、ただの質問。
そんなに興味ないからこそ、「既婚者・主婦」という私に投げかけられた質問。
「いませんよ~」
まあ、返す言葉と言ってはこれしかない。それが事実。うん。そうだから。だけどね……。
たったひとつの質問で、自分のコンプレックスやいら立ちが展開する
なんとなく幼い頃から、「子供の有無を聞く」ことはいけないことだと思っていた。
親に教えられた事もないのだけれど、その質問は「親の給料いくら?」とか、「参観日に誰もこないの?」とか、とにかく人のお家に土足であがるような、よろしくない質問だと思っていた。
それを出会う多くの良識人であろう大人がしてくるもんだから、余計ショックだったのだ。
新しい環境や場所に行く度に聞かれる「子供いるの?」。
飽き飽きするとともに、聞かれる度にじんわり傷つく。
繰り返すが、相手からしたらただの質問なのに。
子がいない、そして欲しない私はおかしいのだろうか。
結婚していたら子供がいることが普通なのか?
結婚してしまったが故にこんなことを聞かれるのか?
質問者はそこまで言及していないのに、聞かれる度に何度もそう思ってしまうのだ。
そして思考は今自分がいる枠組み=既婚者・主婦の立場とか、生まれ育てられた環境とか、親や兄弟との関係性とか、社会の普通とは……なんて着地点もなく、立ち眩みを起こしてしまう。
たったひとつの質問で、自分の不揃いなコンプレックスやいら立ちが展開していく。
解決策も解消法も導けない、情けない私の脳内だ。
決めつけや常識を押し付けてくる質問を、私も投げかけたこともある
アラサー同年代の友人と会話すると、恋人がいない友人は「相手いないの?」と聞かれる度、いないことがおかしいのではないかと悩むという。
長く恋人がいる友人は、「結婚しないの?」と聞かれることが苦痛だという。
それらの質問はいつも決めつけや常識を押し付けてくる。
本人が望んでいるかも分からないし、望んでいるからこそ辛辣な質問たち。
質問してくる人のことをあーだこーだ、実は自分も言えない。
性別、年齢、出身地、見た目……。そんな枠組みを自分で作っては、人を判断したり期待したりしている。
そこから相手を知ろうと質問を投げかけていたこともある。
私だっていつも傷つけられでばかりではないのだ。
大人のかわし方も理解しているけど、素直に言葉に出して伝えたい
本当はするりと身のこなし軽く生きたい。傷つきたくないし、傷つけたくない。
「上手くかわす」「当たり障り無くやる」これが出来ることが大人だと思ってる節もある。
人生は自分のものなのだから、「いちいち気に留めてたってしょうがないよ」と言い聞かせることもある。
それでも、感じた違和や失礼だと思うことは素直に言葉に出したい。
時には怒ってもいいだろう。ちゃんと相手に伝えたい。
それが、他の人にも同じ思いをしてほしくないという責任感なのか正義感なのかは分からない。
いつだって相手に面と向かって言える自信もない。
何かを変えようとする意気込みとも違うけれど、素直に生きてみたら、きっと相手のことも受け入れようとできるんじゃないか。
「この人失礼だな」で終わらせ、もやもやしていた自分ではなくなるんじゃないだろうか。
あの時言えなかった「失礼じゃない?」を言いたい。
そう思えた自分に、なんだか少し期待している。