社会人5年目。私が人生で大切にしていることは「生きる理由を探すこと」だ。
心配されるが、暗い意味ではない。もちろん自分が存在する理由について疑問があって考えたこともあるし、考えすぎて深く落ち込んだこともある。
それでも、私が今自信を持って、私が大切にしていることは何かと聞かれたら、「生きる理由を探すこと」なのだ。
それがはっきりしたのは27歳を迎えた今年である。

パーフェクトなT君の大切にしていることは、正直詰まらないと思った

今年、私が異動した先で、高校の同級生(Tくん)が同僚となった。
Tくんは仕事ができるだけでなく、人間関係作りも上手だった。学校の先生をしている素敵な奥様もいた。彼に嫌な思いを寄せる人はおらず、いつも頼りにされている存在だった。高校の同級生でもあったし、仲良くなるのに時間はかからなかったから、他愛もない話もたくさんした。
その他愛もない話の中で、人生で大切にしているものについて話したことがあった。私はTくんがパーフェクトヒューマンだからこそ、いつもなにを考えているのか気になって、どこかのタイミング聞こうと思っていた。難しい質問だったのか、Tくんも考えながら答えてくれた。
「やりきること」
「楽しむこと」
「人とのつながり」

私はこれを聞いたとき、「つまらないな」と正直思ってしまった。なぜなら、仕事もできるし、素敵な人と結婚しているし、人間関係にも困っていないからこそ、なにか違う発想があるのではないかと思っていたからだ。
ただ、返ってきた答えはいわゆる面接で100点満点の回答。100点の答えは私には出せないけれど、人としての面白みは私の方があるなと感じた。

私の人生で大切なことは「手段」ではなく、「生きる理由を探すこと」

期待しすぎた私がいけないし、彼の答えが悪かったわけではない。しかも自分で明確な人生で大切にしているものが言語化できないのに、なんだか「自分の方が面白みがあるぞ……」と根拠のない自信が出てきたのだ。
私は彼より仕事はできないと思うし、彼氏はいるけれどまだ結婚まではいかないし、だれからも好かれるタイプではないけれど、私の方が楽しい人生を送れる自信がある!
でも言語化できなかった。そこで、私が人生で大切にしているものって言葉にすると何だろう?と考え始めた。

「やりきること」も「楽しむこと」も「人とのつながり」も、人生を豊かに生きるための手段。絶対にそうである必要もないわけで……。あくまでそれらは「生きるためにすることなのでは?」と頭の中で転換され、私の人生で大切なことは「生きる理由を探すこと」になった。
27歳にしてやっと言語化できた。
「生きる理由を探す」から、いろんなことに挑戦できる。向上心をもって取り組める。やってみたいことをやってみる。もしかしたら、取り組んだうちの1つが私の生きる理由になるかもしれない。

生きる理由を探すと、出来事を取捨選択し自分を向上させてくれる

3年前に私は字を綺麗にしたくて書道を習い始めた。昇段すれば上達が目に見えた形で現れる。昇段するのは難しいけれど、昇段したときは嬉しいし、やりがいも感じる。だから、昇段に向かうことが私の1つの生きる理由。
また、1年に本を24冊読むことを目標にしている。月に2冊はなかなか難しいけれど、多くの言葉や人の考えを知ることができる。だからその目標は必要で、私の生きる理由。
1年前に社会人サークルでソフトテニスを辞めた。理由は、汚い言葉を使う人が多かったから。わたしはそうなりたくなかったから行くのを辞めた。汚い言葉は私の生きる道を汚す気がしたから、生きる理由にはならない。やりきれなかったことにも後悔はない。

このように、自分で「生きる理由を探」しながら、いろんな出来事を取捨選択することは、とても面白いし、自分を向上させてくれる。自分の人生で大切なことがわかってから、いろんな人に、「あなたは面白い人だね」と言ってもらえることが増えた気がする。
もっともっと「生きる理由を探」したい!