昔、地元仲間と近所の食堂でごはんを食べていた時のこと。わたしは高校生くらいだった。ラーメンをすすっていると、となりのオヤジたちの会話が耳に入ってきた。
「あそこの息子は親父に似なかったな~。顔はそっくりだとも、性格がな~」
「んだな~、○○(父の名前)も親父さんに似て、もう少し人当たりが良ければな~」
すぐに、わたしの父とじいちゃんの話をしているのだとわかった。身内の陰口を言われているのにも関わらず、当時のわたしは声を上げることができなかった。むしろ、そのオヤジたちの会話に、妙に納得してしまった。
わたしは「父の車」に乗る時、ぜったいに助手席には座らなかった
わたしの父は、不器用で少々気性が荒い人だった。それに対してじいちゃんは、懐が広く人情味溢れる人だった。わたしは、そんなじいちゃんが大好きで尊敬していた。お会計する時、食堂のおばさんがすごく申し訳なさそうに「さっきはごめんね~」と謝ってくれたが、そこまで傷付いてはいない自分がいた。
というのも、わたしは昔から父が苦手だ。苦手というか、あまり好きではない。父は、わたしの大好きなじいちゃんと、よくケンカをしていた。もちろんわたしはじいちゃんの味方。よって、父はわたしの敵だったのだ。
わたしは父の車に乗る時、ぜったいに助手席には座らなかった。父とふたりで車に乗ることなんてもってのほかだ。父の助手席には、きまって母が座っていた。
父は車に強いこだわりがあったらしく、昔から革シートの車に乗っていた。わたしはその革シートと変な芳香剤が入り混じった、なんとも言えない気持ち悪さを感じる臭いが嫌いだった。その臭いのせいで、父の車に乗るたびに車酔いしていたと思う。
「酔うなら前乗ったら?」という母のやさしい提案にも、「いい、大丈夫」と強がって、頑なに乗ろうとしなかった。だから、父の車で出かける家族旅行は苦い思い出ばかりだ。
じいちゃんの訃報を知らせに行く時、始めて父の車の助手席に座った
そんなわたしが、父の車の助手席に初めて乗ったのは25歳の時、大好きだったじいちゃんの訃報を親戚に知らせに行くタイミングだった。いつもは意地でも乗らない助手席に、勢いよく乗り込んだ。車中は無言だった。
父はじいちゃんの思い出話をするわけもなく、取り繕った世間話をするわけでもなく、ただただ無言で運転していた。
ふと、父の方を見てみると、目を真っ赤に充血させ、いまにも泣き出しそうだった。それを見たわたしは、こらえていた涙が思わずどっと溢れてしまった。じいちゃんの死を綺麗事にせず、真摯に泥臭く受け入れようとしている父の姿は、わたしにはとてもかっこよく映ったのだ。
いつもケンカをしていたふたりも、やっぱり血のつながった親子だったんだと実感した。この時に流れる車中の空気が、わたしにはとても神聖なものに思えた。
父の車は相変わらず臭かったが、そんなことも気にならないくらい、あの日のあの空間は、とても清く美しく、いまでもわたしの思い出に残っている。
あの日、助手席に乗らなければ、涙ぐむ父には出会えなかったかも
じいちゃんが死んだ日以来、父の車の助手席には乗っていない。やっぱりじいちゃんマジックだったのだろう。でも、あの日助手席に乗らなければ、あの父の姿には一生出会えなかったかもしれない。じいちゃんに感謝だ。ありがとうじいちゃん。
父の車は相変わらず臭いが、あの日を境に、父の車の臭いにまつわる苦い思い出は上書きされた。不器用な父の性格も、いまではそこまで嫌いではない。
父の車に乗ると、あの日のことをふと思い出すのだ。