誰かが言っていた。
「就活の合否で一喜一憂をするな。止まるな。動き続けること」
無理だ。
無理ゲーだった。

私にとって新卒の就活は感情の繁忙期。喜怒哀楽全てがフル稼働

書類審査が通ったら嬉しい。認められた気持ちになる。
落ちたら悲しい。自分を否定された気持ちになる。
それが自分就活史ハイライトだ。
私にとって新卒の就活は感情の繁忙期だった。
喜怒哀楽、すべての感情が就活でフルに動き回っていた。

まぁ、5月には終わらせて、最後の学生生活を謳歌しようーっと。
今思えば、私は楽観視しすぎていたのだ。
そして嘗めていた。就活という名の闘いを。
いざ企業が面接を解禁する3月。
蓋を開けてみれば面接準備どころか、ESさえも通らずにそれらは意味のない文字列へと化していった。

夢見ていた企業、憧れの企業、すこし期待していた企業、第一志望郡と呼ばれる企業たちからは、思いの全くこもっていないお祈りを数え切れないほどされた。
「貴殿の活躍をお祈りしております」
活躍?お祈り?
私のESにかけた想いを知りもしない人から?
そんなお祈りが欲しくてESを提出していない。
ただ、“内定”の二文字が欲しくて想いを連ねたのだ。

羨ましくて悔しくても止まれない就活。やっと得られた内定の通知

辛かった。ただただ辛かった。自己分析なんて必要あるのか?
長所?短所?挫折経験?
22年私と向き合い、知り尽くしているのは他の誰でもない自分自身なのに。
改めて自己分析したって、落ちた時に、自分自身の全てを否定される気持ちになるだけだった。

でもいるのだ、同い年で就活が上手くいっている人も。
自身の第一志望に受かる人。ほんの数社受けて決まる人。第一志望だけに受かっている人。

羨ましい。
羨ましい。
羨ましい。
悔しい。
悔しい。
悲しい。

けど、止まるわけにはいかなかった。
止まれば春から無職。
頑張った。自分なりに頑張って、頑張って沢山時間を費やした。
「内定です」
本当に嬉しかった。嬉し涙は久しぶりだった。

嬉しい。
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい。

履歴書と数回の面接で決まる就活に抱く疑問。とりあえずお疲れ様、私

自分自身を認めてくれた。
社会人になっても良いと手形を受け取ったような、自分の人生の新たな扉を開ける大事な大事な鍵を受け取ったような、そんな気持ちになった。
悔しさを抱えながら途中で止まりたくなったし、正直インターバルタイムはあったが、最後の最後まで内定というゴールに向かって自分のペースで完走した私を、他の誰でもない自分自身で褒めたいと思う。

ただ無事に就活を終えた今でもふと思ってしまう。
正社員で、今後何十年とお世話になる会社を、たった1枚の履歴書と、ほんの数回の面接で決めて良いのだろうか。
わからなくて不安になる。

けれど、人生の先輩方の大多数がそうなのだと思うと、納得するほかないのだと感じる。
他に自分で選択肢を作る勇気もないし。
今の私では答えがわからないから、一歩を踏み出して次のステップで自分で答えを確認してみようと思う。
ただ許されるのなら、もう一度就活をやり直したら、色んな意味で違う景色が観られるのかもしれない。

今はひとまず、大きな声でお疲れ様、私。
お疲れ様、私の感情。
できればもう二度と、この繁忙期を迎えたくない。