私には夢があった。やりたいことがあった。それは私の人生をより良くする手段でもあった。そして、学生時代の私は、この夢が"叶うもの"だと信じていた。
叶えられなかった時のことなんて、微塵も想像していなかった。今思い返してみると、なぜこんなに自信があったのか、わからない。

「将来の夢は何?」魔の問い。将来の姿を想像しないうちに高校生に

幼稚園や小学生低学年の頃、「将来何になりたいですか?」という問いをよくされた。きっとこのエッセイを読んでいる人の多くが、この問いを投げかけられただろう。
「パン屋さんになりたい」「お花屋さんになりたい」「パティシエになりたい」。今思い返せば、この問いを「好きなものはなんですか?」と聞かれていると勘違いしていたのではないかと疑うレベルの解答だ。
そもそも「何」という点に悪意さえ感じる。何者かになれる人なんてほんの一握りだ。上記の答えを口に出したあの時、私は本当にそれになりたかったのだろうか。恐らく絶対、違うだろう。よく聞かれるこの問いの答えが欲しかっただけなのかも知れない。"将来の姿"なんて全く想像しないうちに高校生になった。

いろんな偶然が重なってできた私のなりたい姿は、客室乗務員

私の通っていた学校では、なんだかんだみんな"具体的な将来やりたい仕事"を持っていた。例えば美容師、看護師、服飾系。
そんな彼らに触発され、私も具体的になりたいものを考えた。高校が国際交流に力を入れていたのが原因かもしれないし、はたまたその近辺に好きだったドラマの影響だったのかもしれない。原因はよくわからないけど、私は客室乗務員になりたいという夢を持つようになった。
しかし、当時私は飛行機に一度も乗ったことがなかった。自分の記憶の中で1番強い世界とのつながりは、授業で扱った世界史の図説だった。授業中に自分の目で見たいものにマーカーをつけて、「将来絶対に見に行く!」と心に決めた。
とにかく私は世界中のいろんなものを自分の目でみて、触れて、感じたかった。
きっとこれがこの客室乗務員を目指した一番の理由だった。私は、自分のやりたいことをやるために客室乗務員になりたかった。

客室乗務員になれると信じていた私。無敵状態からの挫折

冒頭で伝えたように、私はこの夢が叶うことしか考えていなかった。ESの対策をちゃんとしたのは客室乗務員のみ。
さらに国際線一択だったため、国内大手航空会社の2社の客室乗務員しか受けなかった。そう、私の就活の本命は2社のみだった。でも私は、自分が客室乗務員になれると信じて疑っていなかった。
しかし現実は甘くはない。一社はESで、もう一社は一次面接で落ちた。この瞬間、私の将来設計が崩れたと同時に、自分はこの先どうしたらいいのか全く分からなくなった。
他にやりたいこともない。嘘も下手で他の会社の志望動機も浮かばない。そもそも、自分が他の仕事をしているイメージが全くできない。
そんなこと言っている間に時間は過ぎる。奨学金を借りて大学に入学した私の次の選択肢は"働く"以外に残っていなかった。なんとか、内定を2社もらい、そのうちの大手企業の営業職になった。営業なんて、1番できないと思っていた職業だった。

「学歴が全てじゃない」という大人の言葉を信じるな。痛い目にあうぞ

就活は大学4年の春から始まるのではない。高校生の時からもうすでに始まっている。
「学歴社会はもう終わった」「学歴社会は時代遅れ」こう言われることが多くなったが、この言葉を迂闊に信じてはいけない。自分に都合よくこの言葉を受け取ると私の二の舞になるぞ。
日本はまだ学歴社会だ。私がそのことに気づいたのは会社員になってから。
あの時、大学の教授含めてみんなで「学歴が全てじゃない。大事なのは目標を達成できたかどうかの結果だ」。そう口を揃えてお互いを鼓舞していた。
間違いではない。学歴が全てではないが、必ず重要視される。それが日本の現状だ。
あの時、もうすでにFラン大の私はどうしようもないので嘆くよりマシだと思うが、今思えばあれは完全に「負け犬の遠吠え」だった。
もちろん、私の大学で良い会社に入った人はいる。でも、私の印象としてそのような人は、めちゃくちゃ運が良いか、偶然が重なったか、実力が発揮できた、ほんのわずかな成功例だ。
若者よ。大人の嘘を信じるな。取り返しのつかないことになるぞ。