『強くなる』。これが私の宣言。
貴方と一緒にいてもうすぐ2年半。その中の2年は、歩いて10分の距離に貴方はいたね。貴方は特別で当たり前でお気に入りだった。隣にいるだけで安心して落ち着ける。
貴方がいてくれるだけでどんな理不尽にも立ち向かえる。私を無条件に認めて、褒めて、慰めてくれる。貴方の隣は私の世界一安全な場所だった。
気づいたら、貴方がいないと生きられない私になってしまった
もちろん貴方に怒ることもあった。呆れてものも言えない気持ちに何度もさせられた。それでも貴方に頭を撫でられると安心できた。私よりも小さな手なのに、私よりも冷たい手なのに、その手は大きくて、温かかった。
自分以外を心から信じて、心をあずけて、ゆだねていいってそう思えたのは、貴方が初めてだったのに。手を繋ぐ当たり前も、抱き合ったときの温もりも、腕の中で眠る心地良さも。全部全部貴方がはじめて私に教えたのに。
知ってしまったから、私は、知る前の強い私じゃなくなって貴方がいないと生きられない弱い私になった。貴方が、私の傍からいなくなるまであと少し。
あの日のことは、しばらくは忘れないだろう。まあ、できたら忘れたいものなんだけど。
あの日私は昔の職場の先輩と久々の再会をして、お酒を飲みながら昔話に花を咲かせていた。
帰宅の電車で寝過ごして、終電を逃してタクシーで帰宅。楽しかったのに最後は散々だったな~なんて思いながら、もう寝てるだろう貴方の部屋に向かった。
「実家に帰ることになった」。予想していなかったお別れ
23時を過ぎたらすぐ眠くなってしまう貴方がまだ起きていて、珍しいな、会いたかったのかな!なんて呑気に考えていた私はとてもお馬鹿さんだった。
「本当にずっと大好きだよ」
突然真面目な顔でそんなことを言ってきたから、嬉しいと思ったあとにすぐ違和感を抱いた。どうかした?なにかあった?
「実家に帰ることになった」
貴方からの返答は、全く予想していない言葉だった。何だかおかしいな、とは思ったけれど、そんな返事が返ってくるとは思ってもいなかった。
『歩いて10分』それが私と貴方の距離で、会いたくなったら走っていけた。辛くて仕方ない時もすぐに頭を撫でてもらえた。貴方がすぐ近くにいることが、私にとっての大きな心の支えだった。
いなくなる。その言葉を聞いたときから、私はことあるごとに泣いてしまったね。何度も通った居酒屋。大好きなお好み焼き屋さん。いつも買い物をしたスーパー。仕事終わりによく寄り道をしたコンビニ。付き合う前に行ったボーリング場。
貴方と過ごした思い出が私の周りには溢れすぎてる。次その場所に行った時には隣に貴方はいないのに。
「ばいばい、また今度ね」。貴方も私も涙をこらえてお別れをした。今はただ辛いけど、寂しくてたまらないけど私は変わるね。
涙が人を強くすると信じて、前に進む。1人でも強くなるよ
感染症のこともあって、会いたい人に会えない時間がとても長かった。そんな中、すぐ近くにいた貴方は本当に支えだった。
まだきっとこの感染症と戦う日は続くだろうから、貴方がいなくて1人寂しい時が続くかもしれない。
貴方にも次会えるのはいつになるのかわからない、そんな世の中がまたすぐ来るかもしれない。今までは、寂しい時はすぐに貴方に会いに行って慰めてもらえたけど、もう貴方は居ないから。
「1人で大丈夫!」「寂しくないよ」なんて言えるほど私は強くなかったから。次会う時は「1人でも大丈夫だよ!」って笑っていえるように。
『涙が人を強くする』こんな言葉、詭弁だと言うかもしれない、綺麗事だと思うかもしれない。でも本当かもしれない。私はこの言葉を信じてみる。信じて前へと進んでみる。私は『強くなる』。
花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。(井伏鱒二 『厄除け詩集』より)
さよならだけが人生だけれど、私と貴方のさよならはまだ先だと信じて、今は1人で強くなるよ。