まさか自分が不登校になるなんて、夢にも思わなかった。
何があっても学校にだけは行けると思ったし、実際何があっても通っていた。いじめられても無視されても心身症になっても、へこたれずに教室へ通い、部活も全うした。
正直、不登校の子の気持ちなんて分からなかった。学校来ないんだ、そうなんだ~程度にしか思わなかった。
その私がまさか、大学生になってから不登校を経験するなんて、誰が予想しただろう?

いじめでもなく、人間関係も最高に良かった私が不登校になった原因

私が不登校になったのは、いじめとかではない。むしろ人間関係は最高によかった。
色々なストレスが重なりすぎて、心身に不調をきたし、休学してしまったことが原因だ。
しかしそれ以降、学校へ行くのがどんどん怖くなっていった。教科書も開けず、課題をやろうとすると手が震える状態にまで陥った。連絡をくれる優しい友達に、返事をするのも怖かった。学校に関するものはすべて見えないように布で覆った。

始めはなんで怖くなったのかよくわからなかった。勉強は好きだったし、友達もたくさんいるし、先生たちも味方してくれているのに、どうして?
でもその原因が、ある日ハッとわかった。

私は、「もう前みたいにしっかりしていないこと」が怖いんだと。
こうなる前みたいに、しっかりして真面目で、成績がよくて人を支える立場には、もうなれないから。それが怖いんだと分かった。
今はもう、すぐ泣くし弱音も吐くし疲れやすいし、勉強はしてないし、誰かに支えられないと何もできない。目標に向かって一生懸命輝いている友達に、そんな醜態をさらしたくなかった。ドロップアウトしかけている人が目の前にいても、相手も気を遣って困るだけだろうと思った。
誰かに楽しい話もしてあげられない。応援したり勇気づけたり、勉強を教えたり、笑わせてあげることもできない。そんな憔悴しきった状態で、人前に出たくなかった。

心を打ち破った友人からの電話。号泣し勇気がみなぎるのを感じた

そんな気持ちを打ち破ってくれたのは、電話をかけてくれた友人の一言だった。
「寂しいよ。〇〇に会いたいよ。みんな誰も、忘れてなんかないよ」
私はこの言葉で、電話越しに号泣してしまった。そして、すごく勇気がみなぎるのを感じた。学校に行ける、行きたいという気持ちが少しずつ湧いてきた。

最初は、なんでこんなに親切にしてくれるんだろうと思った。
でも、私が逆の立場でも同じことをするだろう。学校に来なくなった友達がいたら当然心配になるし、顔だけでも見せてほしいと思う。楽しい話をしてほしいとか、気丈にふるまってほしいなんて1ミリも思わない。
むしろ、泣いていても疲れ切っていてもいいから、会えたらそれだけで嬉しいと思う。悩みがあったら話してほしいと思う。それが友達というものなのだから。

学生の人間関係は難しいけど、友人たちの存在は私の心の支えになる

友達ってなんだろうという問いは、思春期に多くの人がぶつかることだろう。
友達なんていらないとか、孤独が一番だとか、そう思う人も多いだろう。それを良しとする意見や本だってある。
友達ができないことに死ぬほど悩んだり、少ないことに劣等感を持ったり、多くても親友がいないと感じたり。ときに一生癒えない傷をつけられたり、つけてしまったり。学生の人間関係というものは本当に難しい。

でも私は、この時は特に、本当に心から友達に救われたと思う。
もちろん、ずっと友達と一緒にいられるわけじゃない。みんなは先に卒業してしまうし、就職したらもっとバラバラになる。これから人生の分岐点に立てば、もっともっと枝分かれしていく。気が合わなくなったり、絶縁するほどのことが起きる可能性だってある。

だけど、友人たちの存在は、きっとどこかで私の心の支えになってくれるだろう。そして私も、誰かにとってそういう存在であれたら、すごく嬉しいなあと思う。