小学生くらいの頃から、なんとなく、自分は周りのみんなと同じようには遊べないんだなと感じていた。そしてそれは両親が過保護で、化粧や買い食いが禁止されていたり、習い事をたくさんしたりしていたからだと思っていた。大人になれば、みんなと一緒にいろんなことを楽しめるはずだと。

社会人になってその希望が打ち砕かれるのに時間はかからなかった。
仕事をしていても特にコミュニケーションに困ることはないのだが、女性のコミュニティにいるときだけ、どうも息が詰まる。笑顔をつくってみるけど、その場その場で適した言葉がすっと出てこなくて、解散すると疲れ切っている自分がいる。

気の置けない友だちといるのは楽しいけど、女子会は別空間にいるみたいな感覚

どうやら私は、女性という肩書でその場に存在するのが苦手らしい。
代表的な場の一つに女子会がある。
女子会が嫌いなわけではない。気の置けない友だちと会って話すのは楽しい。
それでも毎回、自分がどうやっても追いつけないような、一人だけアクリルパネルで別空間で仕切られているような感覚に襲われる。

お店に入って落ち着くな否や、水が流れるかのようにお互いの容姿を褒める。
「あれ、髪の色変えた?」「ピアス増やした?」「似合っている、かわいい!」「いいなあ私もやろうかなあ」……と、あっという間にコミュニケーションが活発化する。

私は、髪の色を染めたこともピアスを開けたこともない。だからこの手の話で盛り上がっている間は、にこにこしながらそっとやり過ごす。
やり過ごす時間は正直苦痛だが、みんなに合わせて髪を染めたりピアスを開けたりしようと思ったことは一度もない。

話が盛り上がっていくそばで、その温度に追いつけない自分がいる

メイクの話も全く同じだ。私は化粧品にほとんど興味がないため、いつも最低限のメイクしかしない。友だちからは「顔がはっきりしているから何もしなくていいよね」と、褒めているのかけなされているのかわからないことをよく言われるけど、特に気にしていない。
「それ、どこのシャドウ?」「韓国コスメ欲しいー」と、どんどん盛り上がっていくそばで、やはりその温度に追いつけない自分がいる。化粧品にお金も時間もかけない私だからしょうがない。

他にも「海外に住みたい!」(いや、私はいまの日本でのしあわせな生活のままがいいな……)、「あのサブスクのドラマみた?」(節約でサブスク契約しないからみないんだよな……)、「なにこのリキュールおいしい!」(アルコールNGな私にはきっと一生わからない気持ち……)といったように、乗れる話のほうが少ないかもしれない。

自分を許してくれる人たちに囲まれて、しあわせに生きたい

それでも、私は女子会に参加し続けているし、付き合いは10年以上続いている。それは、彼女たちがこんなにも話が合わない私を女子としてではなく、きっと一人の人間として付き合ってくれているからだ。

あたり前のように、私の近況を聞いてくれて、結婚や妊娠をお祝いしてくれる。なんていい子たちなのだろう、いつ仲間外れにされてもおかしくないのにって思ってしまう。思ってしまうけど、仲間でいるために自分を合わせようとは思っていないから、もしその時がきてしまったら諦めるしかない。

もちろん男友だちといるときは本当に楽だ。何も気を遣わずに話せる。メイクも最低限でいいし、きていく洋服もそんなに悩まない。女子会とは違って、最初から女性としてではなく、ただ一人の人間として参加している感じがして居心地がいい。

だからといって、男友だちがいいというわけではない。自分を許してくれる人たちに囲まれてしあわせに生きてゆければいい。

そうやってある意味、私は私なりに人との距離をわきまえている。