「自信」があれば世界は輝いて見えるはず。だから「自信」が欲しい

今私の一番欲しいもの、それは「じしん」だ。
もちろん、自然災害の地震ではない。私が欲しいのは自信である。

正直なところ、物体として欲しいものは今のところない。だから、誕生日やクリスマスなどイベント毎に質問されると回答に苦しむ。精一杯絞り出した結果、昨年は図書カードになった。
プレゼントをもらえるという環境はとてもありがたいと思う。けれど、私の欲しいものはお金では買えない。ましてや、他人からもらえるものでもない。もし何か手に入れる方法をご存知の方がいるのであれば、是非とも教えて頂きたい。それが私の長年の悩みなのだ。

もっと自信があれば、世界は輝いて見えるのかもしれない、と思う。
本屋に行くと「私が成功した理由」や「〜で、一番になる方法」など、俗にいう成功者の書いた本を目にする。
その本に溢れているのは、自信に満ち溢れた文字。まるで著者が全てを知っているかのような語り口調でこちらに話しかけてくる。あまり好きではないタイプの本だから、今まで購入したことはない。

しかし、ここ数年よく立ち読みしてしまう。読んだ後、自分と比較して虚無感でいっぱいになると分かっているのに。人は自分にないものを求める生き物だと、どこかの本で読んだことがある。だから無意識のうちに手にとってしまうのかもしれない。
自信を手に入れることが出来たら、その先に待っている未来は今よりもっともっと広がるのだろうか。ドラマや映画の主人公が王子様に見初められてキラキラした世界へ羽ばたいていくように、私にだってきっかけがあればいつかそんなチャンスが巡ってくるのではないか。そんな淡い期待をする時もある。
けれど、そんなうまい話があるわけないし、そもそも主人公は輝く素質があったわけで、きっと作品には描かれていない隠れた才能があったに違いない、なんて自分を卑下する妄想をしてしまう。

自信の見つけ方がわからない。自分に期待しない方が楽に生きれる

自信を手に入れるにはどうすれば良いのだろう。そもそも、他の人たちはどのように自信を持てるようになったのだろう。

高校生のとき、真剣に先生に相談したことがある。その時の先生の答えは「他の人にない部分を見つけること」だった。
他の人にない部分?そんな特別な才能、私にはない。
勉強は得意じゃなかったし、唯一10年以上続けていたテニスも特別強かったわけではない。私と同じくらいのレベルの選手はたくさんいたはずだ。そんなことないよ、と言われても数字が物語っている。数字は残酷だ。

だからといって、性格は他の人と比べるための基準がないし。そうやって色々考えていると、自分には何があるのか本当にわからなくなってしまう。そうしてまた、自信を持つことから遠ざかっていく。
自分に期待しない方が楽。人並みに、波風立てず、可もなく不可もなく、そんな人生を送れればそれでいい。期待してしまったら、出来なかった時自分が辛いから。

自分のことを「認められる自分」が、今一番欲しいのかもしれない

じゃあ、私はなんで自信が欲しいと思ったのだろう。ふと立ち止まって考えてみる。
こんなに自分のことを否定し続けているけれど、本当は少しだけ肯定してみたいのかもしれない。自分のことを「よくやったね」と褒めてみたいのかもしれない。誰かに認められて、讃えられて、「あの人みたいになりたい」なんて言われてみたいのかもしれない。いや、誰かに認められなくても、自信を持てた自分のことを褒めてみたい。
けれど、どの部分で自分を肯定していいか分からなくて、必死にもがいている。たまに一筋の光が目の前に差し込んだと思ったら、幻のように消えていく。その光がもし流れ星だったら、私の願いはもうそろそろ叶ってもいいはずなのに。

私には何があるのだろう。私には何ができるのだろう。私が誇れるものってなんだろう。私のいる意味ってなんだろう。私ってなんだろう。私って……。もしかしたら、私が今本当に欲しいものは、私のことを素直に認められる自分「自身」なのかもしれない。