小学生の頃から夢見がちで妄想癖が強い。本を読んでいればよかった

私の捨てられないものは、文章を書くこと。すなわち、今あなたが読んでいる「これ」だ。
私に残っているものは、これしかない。
捨てられない、のではなく、私の場合は字を書くことしか残っていないのだ。

いつから字を書き始めたんだろう。思い返せば、小学校一年生の頃から夢見がちで、妄想癖の強い女だった。
当時の小学生の楽しみといえば、本を読むことしかない。ゲームとか、そういうものに興味も持てなかったし、当時から人と違う自分がかっこいいと思っていた。それに勉強ができたわけでもないから、学校はいつも辛かった。
結局、私は本に逃げた。本を読んでいればよかった。本は、唯一私が現実を忘れられる麻薬のようなものだったのだ。

書くことで現実逃避し始めた。受験の日ですら書いていた

それが、いつしか本自体を書くことに現実逃避を見出し始めた。本という浮世離れした世界に没入するには、自分で作り出す方が楽だったから。勉強をしているふりをして、横書きの小さめのルーズリーフをノートと教科書の間に置いて、そこに書き出していった。
中学生にもなると慣れたものだ。日に五枚ほど書いていた。親に一度だけそのルーズリーフを見られてからは、隠し場所も考えるようになった。おそらく字を書いていなかった日は、高校受験の日も含めてなかったのではないか。

高校生になると、ホームページを自分で作って、そこに置いておくようになった。いわゆる「青春時代の黒歴史」と称されるようなホームページ。なのにギャル文字ひとつも知らないから、やたら硬い文章になった。
正直、高校時代はこのホームページの維持に躍起になっていた。

大学になったら同人誌まで作り始めた。SNSで他の字書きさんとも交流するようになり、刺激を受け、ついでにコンプレックスも刺激された。
世の中は広く、小説教室に通う人の文章は本当に上手だった。上手な人というのに翻弄され、表現が迷走したこともあった。
ちなみにその頃には親も何も言わなくなった。なんなら就活が終わらず卒業目前になった私に、ライター業を薦めてきた。

自信を失い、書くことが怖くなっても、手は止まらなかった

ライターになって、初めて書くことに真正面に向き合った。
書くことが正当化される日々。記事を書くことは嫌いだった。でも、書かずには生きていけなかった。書かないとお金がない。書かないと生活できない。初めて、不特定多数に晒されるような文章を書いた。
書いた記事がちょっとだけ読まれていた。いい気になって応募したコンクールは全て梨の礫だった。自信は失った。だけど、書くこと自体は嫌いになれなかった。

ライターをやめて、大学時代の夢だった観光業につこうとしたけれど、やっぱり感染症が怖くて、最後の最後に怖気付いて近くの会社の事務員に鞍替えした。
自分が夢さえ簡単に捨ててしまえる人間だと気づいた。だけど書くことはやめられなかった。

就職が決まる前、気分転換に観に行った映画でブログを書いた。主演でプロデューサーの俳優にまでそのブログが読まれて、リポストされてしまったらしい。とんでもない閲覧数になった。
仕事と違って私の考えがいろんな人に届いたのだ、という感触があった。この時初めて書くことが怖くなった。だけど手は止まらない。公にしなくとも字を書いてしまう。四月、働き始めて今。それでも字を書いている。

どうあがいても、私は書いて表現する方法しか知らないのだ

私は、結局字を書くことから逃げられないのだ、と思った。どう足掻いても、私は字を書いて表現する方法しか知らないのだ。
私より表現の上手い人間なんて、この世の中に星の数ほどいる。ふと目にした表現があまりに上手で絶望することなんていっぱいある。だけど、書くことはやめられない。表現するしかないのだ。
褒められても褒められなくても、読まれても読まれなくても、上手くても上手くなくても書くしかない。どれほど表現に苦しもうが、目の前で情緒を揺さぶられる何かがあれば言葉で描写せずにはいられない。

書きたいという衝動に身を任せ、今日も私はキーボードを叩く。夢さえかなぐり捨てた女に残ったものは「書くこと」だけなのだという事実が、否が応でも胸を刺す。
諦めにも似たその痛みは、しかしなぜか幸せの感触も含んでいる気がするのだ。