「まだ若いから理解できないだけで、私の年になれば分かるようになるよ」
私に、そう言ってくる50代以上の大人が嫌になるときがある。
必ずしも「年齢を重ねる=経験値が上がる」ではないのに。

妊娠、出産、子育てに憧れを感じない女性に対しては、「30歳になれば母性が芽生えるから」「まだ若いのに子ども産みたくないなんて言わないの」と。
子持ちで離婚した女性に対しては、「子どもがいるのに離婚なんてけしからん」と。
離婚して子どもを引き取らなかった女性に対しては、「育児放棄だ」と。

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離婚後、片親にのみ親権が与えられることがスタンダードの日本において、父親が子どもを育てるとなると、母親側は育児放棄だと非難される。
母親がシングルマザーになることを選んだとしても、父親側が育児放棄だと非難されることはないのに。
料理をパートナーの男性に任せている女性に対しては、「妻としての務めを果たしなさい」と。
パートナーとして男性を選ばなかった女性や、そもそもパートナー関係ではなくシングルを貫くことを決めた女性に対しては、「女性に生まれたのだから、男性と結婚して、子供を産むことが女性の役目。役目を果たしなさい」と。
私含め、一般的に健康に出産できる20代~30代の女性は、この言葉を、ずっと定期的に周囲から言われ続ける。特に、「上の世代」がいる、家族ぐるみの集まりや親戚と会うときに。

内閣府によると、2022年の男性の生涯未婚率は約20%であることに対して、女性はその半分の約10%である(https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h25/zentai/html/zuhyo/zuhyo01-00-20.html)。
男性の生涯未婚率の方が、女性よりも高いことの背景には様々な要因があると思うけれど、私の推測は2つだ。

まず、「再婚男性」と「初婚女性」のカップルよりも、「初婚男性」と「再婚女性」のカップルの方が少ないから。
そして、女性の方が、「孫の顔が見たい」という自分の親からのプレッシャー、結婚相手の義理の両親からのプレッシャー、周囲や親せきからのプレッシャーを負っているから。

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「再婚」に対するハードルの高さは、男性と女性では大きく異なると思う。
シングルファーザーよりも、シングルマザーの方が圧倒的に数が多く、子連れの再婚が、社会的にもっと当たり前にならないと、やはり抵抗があると思う。
私は、結婚も出産もまだしていないけれど、仮に結婚して子どもを産んでから離婚した後、「母親なのに、また恋愛をしてもいいのか。母親のせいで、子どもは名字を何回も変えることになる」と思ってしまう気がした。
子連れで再婚した時、再婚相手との間に子どもを産むか、そもそも健康に子どもを産める年齢か、という問題もあり、子どもの学費を考えると、言ってしまえば、子連れの女性は経済的負担の塊だろう。
他方、子どもを育てていない離婚経験ありの女性は、ある一定の年齢に達すると、「妊娠」がしにくくなるため、「子どもを産める」という女性だけの特権を失った状態で、自分がいかに魅力的かをアピールして再婚しなければならない。

未婚の息子を持つ「上の世代」の立場に立って考えてみると、「孫の顔が見たい。だけど息子の相手が必要。息子の稼ぎは悪くないのだから、相手は若い女性で、再婚の子連れではなく、初婚がいいだろう」と思うことが当たり前だ。「子どもを産めることに女性の存在価値がある」という一部の「上の世代」の考え方には、全く同意できないけれど。

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「孫の顔を見せる」ためには、結婚をすることがスタンダード。男性側の家の名字を残す、つまり、後継ぎを産むこと。
「後継ぎを産む」なんて言い方は古いけれど、「上の世代」に育てられた若い世代にも残る価値観だと思う。
昔付き合っていた彼が、「結婚して、かおりんの名字が変わって、子どももMから始まる名前にしたら、フルネームのイニシャルが同じになるね」と言ったことがある。
彼も私も、名前のイニシャルはM。子どもの名前もMにして、名字さえ同じイニシャルになれば、お揃い。
「あれ、おかしいな。女性の私が、名字を変えることが前提なの?」
そう思ったけれど、口に出したら、長い議論が始まる気がして、フェミニストな彼女の部分は隠しておいた。

女性には、「子どもを産む」権利があるのであって、それは義務ではない。
結婚しても名前を変えない自由もあるべき。
そんなことを思う私は、わがままな女の子なのだろうか。