椎名林檎、トータス松本の「目抜き通り」を聞き終わると同時にBluetoothのイヤホンを外し、目を開ける。
暗かった世界から一転、目の前に広がるのは木々の緑と空の青の美しいコントラスト。
再生ボタンを押すのに躊躇っていた割には、拍子抜けするほど何も感じなかった。
きっかけがあったわけでもなく、ただふと、再生ボタンを押していた。
お気に入りのスタバで、いつものソイラテ片手に四年ぶりに聴いたこの曲。
あの頃はまだApple製の有線イヤホンを使ってこの曲を聴いていた。
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かつて、自分の人生は終わったと思っていた時期があった。
大学四年、私は就職活動に失敗した。
はっきり言って、舐めていた。何とかなると思っていた。
しかし現実はそう甘くなかった。私は社会から必要とされなかった。
大学まで行ったにも関わらず、四月からの自身の社会的居場所も決まらず不安定になった。
さらに就活が上手くいかなかったことを皮切りに、彼氏にも友達にも距離を置かれ、四月からと言わず、大学四年の冬には私の居場所はどこにもなかった。
「孤独」。それが人間をどれだけ苦しめるかを肌で感じた数ヶ月。
誰にも認知されないこと、それは過去に凄まじい練習に耐え、本気で部活に打ち込んでいたあの頃の肉体的な苦痛よりもきついと、当時は本気で信じていた。
あの頃潰れず、ここまで回復したことについて、かつて鍛えた強靭な精神力が大きく作用しているといえるが、冒頭に紹介した曲の存在もあったと言える。
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椎名林檎さんのファンだったバイト先の店長が教えてくださったこの曲は、「GINZA SIX」オープン時のテーマ曲に起用されており、2017年4月には「椎名林檎&トータス松本、デュエットで銀座を歌う 「GINZA SIX」スペシャルムービー「メインストリート」篇」という動画がYouTubeに公開されていた。
その映像に私は一人涙していた。
本当の自分は自分にしか分からないし、人生辛いこともきついこともたくさんある。
自分の人生が無価値だと思ってしまうほどの絶望もあるかもしれない。
だけど、命尽きる最後まで自分らしく走り続けること、それが私の人生の価値になるのだ。
この曲を聴いて私が感じたことだった。
絶望から立ち上がるには自分が頑張るしかない。そこで私の価値観は大きく変わった。
その後、現在までの過程は、以前投稿したエッセイにも記載したとおりだが、軌道修正を図るために、大学院へと進学するまでの間、バイト先以外ではほぼ誰とも会話せず、イヤホンでこの曲を聴く毎日を過ごしていた。
当時は生身の人間の声よりも、お二方の声の方を多く聴いていた気がする。初めて聴いた時の気持ちを、曲を聴き続けることで強制的に脳に思い出させ、あの孤独に打ち勝とうとしていた。
数ヶ月、無事院に進学、新たな人間関係を構築していくうちにこの曲とは疎遠になっていった。
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あれから四年、これまで聴くことがなかったのは、単純に、自身の絶望期を思い出すのが怖かったからだと思う。しかしこの春、再びこの曲を聞き始めた。
当時の映像が頭によぎったが、そんな頃もあったなと笑うことができていた。
それほどの時間が経過したのだと、少し寂しくもあった。
当時は自分を立て直すのに必死で言えなかった言葉を、今なら伝えることができる。
私を救ってくれてありがとう。