「書くことは、私にとって仕事であり、セラピーであり、セルフプレジャーの一部なんだよね」
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――私は現在22歳。新聞やテレビ、ラジオで紹介される私は"女性起業家兼大学生"。
20歳の時に起こした事業は今年で3年目になる。21歳で入学した大学では、主に犯罪心理学を専攻して勉強している。その傍ら、noteには性被害や精神疾患、セックスに関する記事の投稿を続けている。
初めて記事を投稿した日から、今月でちょうど4年になる。きっかけは2020年の1月にうつ病を発症したこと。その後にパニック障害や解離性障害といった精神疾患も併発し、症状の発作の末、同年7月に自殺未遂を起こした。
当時交際していたパートナーの助けから一命は取り留めたものの、投薬やカウンセリング治療を用いた闘病生活は2年にわたり続いた。
初投稿の記事で、私は自身のすべてをさらけ出した。うつ病の発症をはじめ、幼い頃に両親が離婚し女手一つで育ったこと、年子の兄とは複雑な関係であること、シングルマザーになった母が次に交際していたパートナーから性的虐待を受けたこと。中学の不登校や、社会に出てからのセクハラ被害。これまで誰にも言ってこなかった私の20年を、この時はじめて言葉にした。
読者としては読んでいて気持ちの良いものではないだろうが、私の心は晴れ晴れとしていた。ずっと、誰かに助けて欲しいと願いながら一人で背負ってきた荷物を、やっと下ろせた気がした。
書くことが、私に一筋の光を差した。
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その後も闘病生活の経過や、何気ない日常の出来事、自身の性体験と価値観など、様々な記事を書き続けた。そして間もなく、私の書いた記事を読んだ米誌の記者から取材のオファーを頂いて、私の声は海を渡った国外の人々にも届くことになった。闘病生活のつらいことも、言葉にするといつの間にか心が整理されていて、どんな薬を飲むよりも癒しを得ることができた。
今では書くことを自慰的に使っている自分もいる。社会のなかで生きづらさや疎外感を感じた時は、自身の考えが脳内をぐるぐると巡り、夜も眠れないほどに落ち着かない。そんな時、私はこの"ぐるぐる"に言葉という命を吹き込むことで「私は私、あなたの求める私にはならない」という、強い思いを保つことができている。そうして吐き出して気持ち良くなれば、ようやく安心して眠ることができる。
時に、文章を書きたい欲求に駆られることがある。私は自身のセクシュアリティやセックスに関して、強い情熱を持って生きている。それ故に、そういった事柄に対する批判的な意見を耳にすると黙ってはいられない。
最近では「男性が女性の性を消費する立場である」という潜在的なバイアスについて、問題提議した記事を投稿した。この記事を書いている時、冷静でロジカルな言葉選びを意識しつつも、心のなかでは血眼になってキーボードを叩いている自分がいた。
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記事の更新が毎日のように続いたある日、友人にこんなことを訊かれた。
「よくそんなに沢山書けるね?しんどくないの?」
「え?しんどくなんて微塵もないよ」
「書くことは、私にとって仕事であり、セラピーであり、セルフプレジャーの一部なんだよね」
書くことが差した光は更なる飛躍に繋がり、心の癒しにも、自身の慰めにも七変化する。それは私にとってこの時代を生き抜くための武器のようで、剣にも盾にもなることを意味していた。
この世界で最も、私が私らしくいることを許される場所。それが私の文章で、文章を書くということの醍醐味である。