ここまでしか無理だ。私の力はここまでだった。
幾度となく思った。そして正直今も思っている。
たくさんの人と出会えば出会うほど、そう感じてしまう。
いけないことだと思っているから、直接伝えるわけではない。でも、ずっとずっと心の中では限界を決めている。それが私の悪い癖。
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塾講師を10年、小学校の講師を8年、出会った児童や生徒は1000人を超えた。塾では、受験生を担当することも多く、個々にあった志望校を話し合ったり、レベルに合わせた勉強法や受験対策を行ったりしてきた。
それが私の仕事だから。そんな仕事をしていると思うのだ。
定期テストの結果、普段の勉強の様子、勉強時間とそれが定着する速さ、さまざまな視点で子どもたちと向き合うと、どれくらいの期間で成績が伸び、どれくらいのレベルなら合格ラインに到達するか。個別指導だからこそ分析できることだが、そこで私は判断する。
この生徒は頑張っているがC校が精一杯だ。この生徒は、飲み込みが早いから、勉強量は少なくてもB校にはいける。この生徒はD校までいければ十分かな。その見立ては大体その通りになる。
どちらかというと、その見立てよりワンランク下げたレベルが妥当になる。思っていた以上に良い結果になることはこの10年ほぼなかった。
仕事としては、分析通りの結果になり、悪いことではないのだが、私は生徒のレベルをこのラインだと決めてしまっている。頑張ってもここが限界だ。この子は同じくらい頑張ればもっと上にいける。それは時に残酷にも感じる。
言わないから本人には伝わらないが、私の中では生徒のランク付けがされてしまっている。なんともかわいそうな話だ。
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それは自分にも当てはまった。学生の頃に「姉と同じくらい頑張っても、あなたは姉のようにできるようにはならない」そう両親から告げられた。当時の私は、自分のレベルを分析することができなかったため、ただただ悲しく涙を流したことを今でもよく覚えている。
私は姉よりもできない出来損ないの人間。同じ頑張りでは姉のようにはなれない。そう突きつけられたのも、今ではわかる。
自分の能力は姉よりも劣ると自分ではっきりわかるからだ。特に勉学の面では明らかだった。そのほかにも習い事面や性格面で、明らかな差が生まれるものもあった。手先の器用さや音感等、自分の方が勝るものもあると思える一方、どうしてもできないところばかりが気になってしまう。
自分は頑張っても無理だ。もう、頑張っても無理なら頑張らない方がいいではないか。そんな風にさえ思えた。
でも、そうすることは自分の限界よりも手前でストップさせてしまう原因になってしまう。
子どもの50m走のタイムを測ると、白い線を書けば白い線の手前で大幅に失速してしまいタイムが落ちる。それはゴールラインが見えていて、もうゴールだと、力を抜いてしまうからだ。だから、50m走のタイムを測るときは、線を引かず、向こうに立っている先生に飛び込むつもりで走るように伝える。そうすると、ゴールがはっきりしないため、失速せずに走り続けることができる。
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これは私の悪い癖にリンクするものがあると感じている。私は限界(ゴール)を決めてしまっているため、その限界(ゴール)に到達する前に手を抜いしたり、諦めたりしてしまっているのだ。
だから私は、限界(ゴール)を超えた先を進めるように、心がけたい。
この癖を克服することは難しいかもしれない。
でも、エッセイを書いたり、新しいことに挑戦したりすることで、新たな自分を発見できるのではないかと考えている。
また、自分ではなく、周りの人に評価してもらうことで、限界だと思っていたラインが、もっと先のもので、もしかしたら、秘めた能力が引き出されるかもしれないとも感じている。
私の限界は、まだここじゃない!