今年の夏は、私にとって別れの季節だ。これまで、別れの季節で思い浮かぶ色は桜や若葉の色だったが、今年からは快晴の空や海のような真っ青になるかもしれない。
友だちであればこの関係に終わりはない。でも、彼の特別でありたい
4月に、ある男の子と出会った。生まれた国も、話す言語も違う彼は、8月に日本を離れることになっている。一緒に過ごせるのはたった4ヶ月。出会ったときからわかっていたにもかかわらず、何となく友達以上の関係を期待している自分がいた。話せば話すほど、彼を知りたいし、理解したい。彼を知って、理解するほど、もっと長く傍に居たいと思ってしまう。
頭の中では、恋愛関係になってしまえばいつか終わりが来ることを理解していた。けれども理性だけで行動できないのが私の弱さである。何度か境界線を越え、何度かお互いの関係性について話し合い、私が選んだ選択は、恋愛関係になることではなく、彼と終わりのない関係でいることだった。彼の特別でありたいという気持ちをなくすことはできないけれど、もう二度と会えなくなるわけではないという期待は私の気持ちを救ってくれている。
物理的な距離ができるまでのカウントダウンはもう始まっている。目標は、物理的な距離ができたとしても、サステナブルな関係でいることだ。時代は令和、人間関係にだってSDGsをあてはめたっていいだろう。彼と一緒にいて心躍るのは、お互いの言いたいことや思っている気持ちを理解できたときである。同じ気持ちじゃなくてもいい。彼がどう思っていて、私がどう思っているかをお互いに理解して、お互い自身のことを理解できたらそれで十分だ。そんな時間を、できる限りたくさん過ごしていきたい。
相手を知るって、自分を知ることかもしれない
そう思って彼との時間を過ごすが、彼と一緒にいる間、気づけば考えているのは自分のことばかりだった。どんな音楽が好き?休日は何をしている?将来の目標は?彼に矢印が向けば向くほど、彼の矢印はHow about you?と私に向く。彼の質問に曖昧な言葉で応えたくなくて、心の中で自問自答しているとあっという間に解散の時間だ。
ひとりになってから彼との時間を振り返ると、大体「カナダ留学費用」「海外で働く」「保育留学カナダ」と検索している。ちなみに彼はカナダ人ではなく、私は保育関連の仕事をしている。海外で保育を学びたいということは1年以上前から考えていた。少し切ないけれど、私のやりたいことは彼と一緒に過ごすために海外に行くことではなくて、自分のキャリアアップのために海外で勉強することのようである。彼と一緒に過ごすために海外に行く方法を探したこともあったが、彼の将来の目標という矢印は私に向かっていなかったから断念した。切ない。でも、彼を理由に海外を夢見ていたときよりも、自分で人生を切り拓いているような感覚があり、自信が持てた。こうやって強がって、自分のプライドを保つ。
ひと夏の忘れられない出会いに。彼と出会い、新しい自分とも出会った
もちろんひと夏の恋に溺れるという選択肢もあったし、そうしたいと思った自分もいた。けれど、彼の真っ直ぐな好奇心を目の当たりにすると、自分の感情で彼との関係を失いたくないと思う自分もいた。
好奇心というのは特別な誰かに向けたものというわけではなく、きっと日本語を話す日本人の女の子に興味がある、といったものだろうがそれでもいい。私だって、異国の言葉を話す異国の男の子に興味がないとは言えない。こうやって最後の最後まで強がっているのだと思うが、間違いなく、彼と出会ってから私は自分のことを考える時間がぐっと増えた。お互いを知るとは、自分を知るということかもしれない。
会えば会うほど彼を見つめ、自分を見つめる。もう出会ってしまったのだ、私にとって彼が特別な存在になってしまうことは避けられない。8月はきっと辛くなる、仕方のないことだ。その頃には関係性がサステナブルなものになっているように、彼を知り、自分を知り続けるしかないと思っている。