クリスマス、ハロウィーン、お正月……。

和洋折衷な雰囲気漂う昨今の行事のなかで、唯一どうも好きになれなかったのがバレンタインだ。私は、子どもの頃からバレンタインという風習が苦手だった。

小学校3、4年生くらいのときにはもう「めんどくさいな」という感情が芽生えていたような気がする。

女の子が意中の男の子にチョコを渡す(+想いを伝える)ことがバレンタインの本質のはずだと思うが、2月14日の教室で主だって行われていることといえば友チョコの大交換会だった。もはや、色恋沙汰も何も関係ない。

◎          ◎

ほとんどの女の子が、手作りチョコを用意して持ってくる。

作るといっても、溶かしたチョコを小さなカップに流し込み、アラザンなどのデコレーションをせて冷やし固めた簡単なもの。それでも、幼い私からしたら立派な手作りチョコだった。加えて私にとっては、手作りチョコは大きな壁でもあった。

どんなに簡単な作業だとしても、それを行うには台所に立つ必要がある。母親から、台所使用の許可を得る必要がある。相談する前から「無理だ」と早々に諦めていた。今思えばそこまで気を遣わなくてもよかったのかもしれないけれど、当時の私は何かにつけ母親の顔色ばかり窺うような子どもだった。

手作りチョコは断念し、スーパーのお菓子売り場で買った安価な箱入りクッキーを小分けにし、100均のラッピング袋に入れて友人たちに渡していた。手作りだとも買ったものだとも言わなかった。友人たちに紛れて何故か悪いことをしているような気持ちが湧いたけれど、そんな後ろめたさは無理やり振り払うしかなかった。大事なのは、友チョコの交換に自分も参加できているかどうかだったからだ。もらう想定をしていなかった子からチョコを渡されたら、ホワイトデーでお返しをしなければいけないことも暗黙のルールとして根づいていたように思えた。

チョコをもらって、嬉しくないわけじゃない。でも「これって一体何のためにやるイベントなんだろう」と、そこはかとない憂鬱さを毎年感じていた。

◎          ◎

学校を卒業すれば解放されると思っていたけれど、社会人になってもやっていることはそこまで大差なかった。

職場での、義理チョコイベント。新卒で入社した会社では、女性正社員一同でお金を出し合い、毎年特定の男性社員数人にチョコを贈るのがならわしとして根づいていた。男女比およそ8:2の職場で、なぜ毎年男性メンバーが固定なのか、どうして◯◯さんはメンバーに入っていないのか……など、不可解な点は多々あったけれど「うちでは毎年そうしているから」と説明された以上、はいわかりましたとしか言えなかった。

日頃の感謝の気持ちをチョコと共に贈る、という意味では、義理チョコの風習も悪くはないと思う。でも、それならば純度100%の「いつもありがとうございます」という気持ちで贈りたかった。この職場でのバレンタインは、惰性で何となく続いているだけの文化に思えた。純度の数値は、決して高いとは言えない。

日々の業務の中で特にお世話になっていて、なおかつ社内的にも「シゴデキ」で皆から頼りにされている◯◯さんがメンバーに入っていないことがやっぱり私はどうしても腑に落ちず、毎年単独でこっそり義理チョコを贈っていた。小さな会社だったため、誰かに誤解されて変な噂が立つのも嫌だったから、それはそれは秘密裏に渡したものだった。何故こんなにコソコソ行動しなければいけないのかと、これもまた不可解ではあった。

友チョコや義理チョコの風習は、本来の定義から派生して生まれたものだ。派生したものたちに長年翻弄され続けてきたことが、なんだか癪に思えてしまうのだ。

本来の定義通り、意中の相手にチョコを渡したことは、実は25歳のときまで一度もなかった。

◎          ◎

25歳の冬、私は初めて気になるひとにチョコを贈った。相手の真意は掴めておらず、「私のことなんて何とも思っていないかもしれない」という危惧もしっかり抱いていたから、本命チョコだと悟られた瞬間ギョッとされてしまうパターンだけは避けたかった。万が一ギョッとされたら、もちろん私も恋の終わりを悟り、傷心モードに突入することは想像に難くない。

臆病者の私は「あ、これ友チョコ!あげる!」と非常に軽い口調で言いながらそれを渡した。実際は心臓が爆発しそうなくらい緊張していたものの、ヘラヘラした演技が功を奏したのか「え?マジ?ありがとう。やったー」と、彼の口調も非常に軽いものだった。

傷つくことを避けるあまり、あれだけ憂鬱に思っていた「友チョコ」を都合よく利用した自分が不甲斐なかった。本当に私は調子がいいなと我ながら呆れた。

偶然にも、私と彼はスヌーピー好きという点が共通しており、私はスヌーピーデザインの缶に入ったチョコを彼に贈り、ホワイトデーにはスヌーピーの刺繍がワンポイント的にあしらわれたブックカバーをもらった。「お返しはいらないからね」と、チョコを渡したときにヘラッと伝えていたものの、彼は律儀に返してくれた。めんどくさい風習に彼を巻き込んでしまったかもしれない…と一瞬思ったものの、それは本当に一瞬のことで、調子のいい私は純度100%の喜びを覚えてしまった。

そんなことを、手元の文庫本を見るたびに思い出す。

その文庫本には、彼からもらったスヌーピーのブックカバーがかけられている。リビングの風景の一部と化しているそれは自分があげたものだということを、とうの本人である夫はもう忘れかけているかもしれないけれど

苦さと甘さが入り混じった、マーブル模様のバレンタインの記憶。