「貴方のような人はどこに行っても通用しません」
20歳から24歳までの4年間、幾つかの会社で働いて、退職するときにどの会社でも毎回必ず言われた言葉です。

障害者枠での正社員、クローズ就労(障害者手帳を持っていることを職場に伝えずに就労すること)でのアルバイトと派遣社員、障害者のための作業所など、たった4年間でも職を転々としていたので、当然と言えば当然だったかもしれません。

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最後の望みだと思っていた作業所でも、他の利用者からの虐めと職員からのパワハラで通所をやめることになりました。
「貴方は他の利用者より障害が軽いのだから少しくらい我慢しなさい。そんなことで作業所をやめてしまう貴方のような人はどこに行っても通用しません」という職員からの言葉は確かにその通りだと思いました。

私は作業所すら続けられない社会不適合者。
もういっそ死んでしまった方が良かったと思うほどでした。

24歳の時に生活保護の受給が急遽決定して、それから4年半を生活保護受給者として過ごしました。

同世代の人たちが社会で活躍したり、家庭を持ったりしている中、私はずっと時が止まったままでした。

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学校で虐められて、家族や親戚からも虐待を受けて、社会人になってからも虐めやパワハラに遭って、どこに行っても嫌われて虐められる人生ならば、ずっと社会との関わりを絶っていたほうが幸せだと思っていました。

好きな時間に起きて好きな時間に寝て食べて、好きな時間に本を読んだりゲームをしたりする日々は割と幸せでした。誰にも虐められないからです。
ネットで買い物をして置き配にして貰えば外出する必要も、人と会う必要もありません。

ゴミ出しを人の少ない早朝にササっと済ませる以外は外出しないので、入浴やシャワーは月に1回のみ、病院や市役所に行くときに嫌々するくらいでした。

誰からも虐められなくて幸せな、この生活を一生続ける気でしたが、29歳にして終わりが来ます。

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生活保護の担当ケースワーカーが変更になって、縫製会社の経営している作業所に週に1回2時間通所することを勧められたのがきっかけでした。

「私のような人はどこに行っても通用しないので今後一切働く気はありません」

縫製工場の作業所に行くことを勧められた私はケースワーカーにそう言いましたが、逆に質問されました。

「どこに行っても通用しないなんて、どうしてそう思うのですか」
「今まで働いた会社や作業所や親や学校でそう言われたからです」
「青葉さんがどこに行っても通用しないなんて決めつける人の方がおかしいです。1ヶ月、いや1日で辞めてもいいので縫製の作業所に行ってみませんか」
「本当に1日だけで辞めますよ」

1日だけのつもりで行った縫製会社の作業所でも、今までの職場や学校などのように虐めやパワハラに遭うと思っていましたが、虐めやパワハラが全くないことに衝撃を受けました。

週に1回2時間の通所といえども4年間、殆ど外出していなくて入浴も月に1回程度だった私が週に1回外出と入浴をするというだけでも当時の私にとっては重労働でしたが、続けられたのは作業所の人たちが良い人ばかりだったからです。

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障害があっても一生懸命努力する他の通所者たち、それぞれの通所者の障害特性やブランクなど個々の事情に合わせて分かりやすい指導をしてくれるスタッフたちのお陰です。

作業所への通所は徐々に日数を増やして、週に5回5時間通えるようになった頃から作業所ではなく本社の社員として勤務が始まりました。

本社の社員として働き始めてからは作業所よりも安定した収入が得られるようになったと判断されて、生活保護は無事に卒業となりました。

若者が生活保護を受給することについては社会では偏見を持たれがちですが、私は24歳から29歳までの4年半の間に生活保護を受給したことで人生をやり直すことができたので、生活保護という制度があって本当に良かったと思いますし、この制度に非常に感謝しています。