何度か書いているように、わたしは数年前のある日、数人の友人(それは家出を勧めてくれた人たちだ)以外に知らせず、家を出た。

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親、きょうだい、その他の友達、職場の人。
職場には「事情があって引っ越すことになった」とだけ言ってクリーニング済みの制服を渡した。

とくに仲良くしていた友達もすでにおらず、職場の人からはいくらかメッセージが届いたけれど、そのメッセージアプリのアカウントもしばらくして消した。

唯一後悔している……と言えるのは父方の祖父母に言わなかったことである。それなりにかわいがってもらったし、お小遣いをもらうようなこともあった。

といっても、わたしが働きだしてからは「付き合っている相手はいないのか」と言ってきたりもしたし、発達障害やうつにはまったく理解がなかった。だから、今となればまあいいか、とも思う。

なので、どの親戚の安否も知らないし、コロナ禍で誰が死んだかも誰が生きているのかもしらないままだ。

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ただ家出からしばらくは母は周囲にどう説明したんだろうな、とか、比較的仲の良かった親戚にはどう言ったんだろう、くらいのことは考えていた。

きょうだいには「東京に行く」とだけ伝えたし、その後は連絡を取らなくなった。正確にいえば連絡が来ると寝込むようになってしまったのでメッセージアプリを消すのみならず、電話番号を着信拒否した。

なので今現在、わたしの血縁関係は自分以外の誰のことも知らないし、逆にうっかり交通事故や天変地異なんかに巻き込まれてフルネームが出るのは結構怖い。
きょうだいとの最後の連絡から7年消息不明の失踪者になる日が早く来ないかと祈るばかりである(もっとも、向こうがその手続きを取ることが期待できないのがつらいが)。

そもそも友達が少なかったわたしの、ほとんど唯一の友達とはそのしばらく前から疎遠になっていた。相手の環境も変わっていて、会ったところで話すこともなくなっていたのだ。
もう少し長いスパンで連絡を取り合っていたもう一人の友達にも、別に言わずに家出したとて驚かないだろうし、言わなくてもいいだろうと思った(その後しばらくしてから連絡はしたが、特に驚かれはしなかった)。

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今これを書いているだけで少し動悸がする。義理の父母は限りなく優しく、夫も愛してくれるし、うさぎは元気だけれど、それでも、自分の縁戚についてはまだ整理がつかないものだなと思う。植え付けられた恐怖心はなかなか消えない。

別に親戚すべてを実親のように恨んでいるわけではない。……いや、恨んでいるかもしれない。距離が離れても、時間が経っても、いやな記憶の方がこびりついて忘れられない。
あの時はあんなことがあった、あの正月は最悪だった、職場に苦手な親戚が訪ねてきた、エトセトラエトセトラ。

幼少期からの自分を知る人間が、自分の本名を知る人間が、まだ何人も存命であることに、わたしはいなくなるから忘れてねと言って姿を消せなかったことに、恐怖はある。