私は服薬で症状をコントロールしているADHD(注意欠如・多動症)の当事者だ。私の検査結果としては、衝動性のスコアが満点を取っていたようで、担当医もここまで極端な例はまれだと驚いていた。

多動性も8割ほどのスコアを出していて、スコア満点の衝動性と組み合わさることで、突拍子もないことを次から次にしてしまうことにつながっているそうだ。

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診断がついて薬が処方されることになった。この時の担当医の言葉を私は今でも覚えている。担当医はこう言った。「これから処方するのは、ADHDの症状をコントロールする薬です。治す薬ではありません」。この言葉を受けたときは、「薬を飲めば症状が緩和される!これで今よりも生きやすくなる!」と喜びの気持ちしかなかった。しかし、1週間もすると、担当医から言われた言葉の意味が分かり、絶望へと変わった。

服薬1日目。私の世界は変わった。いつも霧がかかっていた脳内が、クリアになった。後回しにしていたことが次々と片付いた。常に眠気や倦怠感と戦っていたが、それがまったくない。そして何より、衝動的に動く前に、考える時間ができた。

もっと、早く、義務教育の頃から服薬できていたら、きっと私は学校が嫌いにならなかっただろう。「当たり前のことが当たり前にできる!これが健常者の感覚なのか!」と感動した。

だが、その代償はあまりにも大きかった。私はその日何も食べられなかった。いや、食べようと試みはしたが口に含んだ瞬間不快感で吐き出した。歯磨き粉はもちろん、水を口に含むだけで吐き気に襲われ、胃液を吐いた。そして、服薬から8時間後、私は動けなくなった。

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薬の効果が抜け始めると、からだが重く、頭には霧がかかり、指先を1mm動かすことですら億劫になった。だが、不思議なことに眠気は来ない。ベッドの上で天井を眺めながら2時間がたつと、倦怠感に体が慣れてくると少し動けた。ちょうど服薬して12時間が経過すると少し眠気が来たような気がする。これが服薬1日目だった。

2日目も同様、服薬後の食事はとれなかった。1日目の反省を生かし、服薬前にカロリーを摂取した。だが、服薬すると何も体が受け付けなかった。そして、薬の効果が抜け始めると動けなくなった。そして、相変わらず薬の効果が完全に薄れるまでは眠れない。3日目も、4日目も同様に繰り返した。私は、薬の効いている8時間だけは“普通”になれるけれど、それにしては代償が大きすぎると感じた。「治ることはない」という担当医の言葉が今になってグサグサと心に刺さった。こんなに代償を払っても、一時的にしか“普通”になれないのだと絶望した。

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私の絶望とは裏腹に、周りの人たちからは、服薬に肯定的な意見が多かった。服薬した私はミスが減っていて、「服薬を始めてよかったね」と評価されていた。そのギャップに私は葛藤した。服薬した自分は評価され、服薬していない自分は評価されない。ありのままの自分への嫌悪感が強まった。だから私は、服薬を続ける道を選んだ。

私がADHDの薬を服薬し始めて、5年が経過した。最初の頃の副作用とはうまく付き合えていけている。5年も服薬を続けると、副作用に体が慣れてくる。液状のものなら薬の効果がある時間に摂取しても平気になった。だが、固形物はやっぱり吐き出しちゃうので、薬の効いている時間は食事をしないとルールを決めた。朝食と夕食の2食でカロリーを調整している。

今でも薬の副作用は大きな代償だと思う。1つ当たり前のことができるようになる代わりに、生物として当たり前の、食欲や睡眠欲がなくなることはすごく怖い。それでも、社会や周囲の人に求められている自分を保つために私は服薬を続ける。服薬を辞めた自分にかけられる批判の声が怖いから……。