書いては消して、また書いては消す。今貴女が読んでいるエッセイは、おそらく5回書き直したものとなる。それほど「母と私」の関係を書く事に頭を悩ませている。

個人の勝手な推測ではあるが、このテーマのエッセイはポジティブな作品が多いのではないかな?しかし、今書いている私の作品はポジティブなオチにはならないとこの段階から思う。しかし、母を否定するオチには絶対にしない。 

まず初めに、母含め私の家族は俗に言う「毒親」ではないことを言っておく。自分たちの気分で子どもたちをコントロールはしていなかった。むしろ仲は良く、友人からは「羨ましい!」とよく言われる。それは自覚している。

親元を離れてからは感謝の気持ちを込めて定期的に家族と食事する機会を作らないと、と思っているが、家族とは距離を置きたいとも思っている。

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私が距離を置きたいと思っているのは、自分の真の姿を見られたくないからだ。

真の姿とは、本当に脆く弱くなっていることだ。私は歳を取ることにより敏感に、そして脆くなっている気がする。

学生時代はレジャーランドに1日中居ても全く平気だったのが、今では混雑した場所がダメになってしまった。それでも仕事に向かわないといけないから、混雑を避けたり、通勤途中は必ずイヤフォンをして雑音から自身を守るようにしている。

しかし音楽を聴いて気を紛らわせようとしても、路上のデモや演説している人が目に入ると、「この先どうなってしまうんだろう」と動悸や目まいがするようにまでなった。月1回の精神科の受診と週何回かの整骨院、後少しの薬でなんとか、という感じだが、そのことを母親含め家族は知らないだろう。

何故なら家族と会う際、私は実家にいた時のような、抜けているが、明るい娘を演じているのだ。

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本来であれば家族に真の姿を伝え、助けを求めた方がいいことは分かっている。しかし、精神科に通院し始めてから計7年くらい経つが、この事は一切告げていない。休職した時も、「うん!元気に働いているよ!」と笑いながら言ったほどだ。

「助けて」と言えないのは、そろそろ母に安心してほしいと願っているからだ。幼少期から病気や怪我により病院へ行く事が当たり前になっていた。自分にかかる医療費は高額だったし、なにより落ち込む自分を見て「大丈夫だよ」と母は励ましてくれた。

本当は苦しむ我が子を見て、一番辛かっただろう。しかし私の前では涙を見せなかった。

これまで耐えてきた母に、更に負担をかけたくないのだ。残りの時間は娘の事は一旦忘れて、自分の幸せのために過ごしてほしいのだ。そのために私は演じる事を決めた。

明るく元気な女性を演じ、これ以上負担をかけないために、程よく距離を置いてもらうこと。これが私にできる親孝行かもしれない。

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しかしながら、やはり嘘をつくことにも限界を感じる。調子が悪すぎると家族に会いに行けるどころか、連絡もなかなか返せない。

「自白した方が楽になれるかも」と揺らぐが、母の悲しむ姿はこの先見たくない。これからも明るい母でいてほしい。もう私の事で心配しないでほしい……。

不安定な情勢に押し潰されそうになっても、私はこれからも明るい娘を演じ続けようと思う。