今回のテーマが「あの恋があったから」だと伝えると、君は「お、俺とのこと書いてくれるの?」と嬉しそうだった。友人になって17年目、恋人になって7年目、婚約者になって1か月の君と私は、なんでも腹を割って話してきた。

片思いも含めた過去の恋愛も、お互い把握している。なんなら「まよ」として、かがみで書いてきた恋愛エッセイを、君はすべて読んでいる。だから、片思いしている私の感情の機微まで知り尽くしている。秘密などない、そう思っているでしょう?

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でもね、ごめん。ずっと1つ話していなかったことがある。
今まで、君が最初の(そしてきっと最後の)彼氏だと言っていた。でも、あれ嘘なんだ。

実は君の前に1人だけ付き合った人がいるの。「聞いてないよ、どんな人だったの?」と君は聞くかもしれない。ごめんね、それにも答えない。答えられない、という方が正しいかな。

だって、顔も本名も声も、どんな人か分からない。1度も会ったこともないし、そしてこれからもきっと1度も会うこともない。付き合ったのも、10年前だし、それも深夜のチャットサイトで5分間だけだったんだ。

君は「なんだ、それは彼氏とは言わないよ。大した存在じゃないじゃん」と言うかもしれない。前半は合っているよ。確かに君と過ごした17年を思うと、彼氏とは言えないのかもしれない。でも後半は間違い。私にとって、大した存在だったんだ。

少なくとも10年前の私にとっては。

今日は、そんな5分間だけ恋人だった彼の話をするね。

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10年前、私はいわゆる人生の「どん底」にいた。人生の勝ち組として小学校中学校高校と進んできて、大学受験で初めて挫折をする。浪人生活を送っていたとき、精神障害の双極性障害Ⅰ型を発症する。自信過剰と万能感に包まれた躁状態で、散財したり、家族や親戚友人知人を巻き込んで暴れ回ったり、四方八方に迷惑をかけた。
躁状態が解けると、そんな周りにかけた迷惑への罪悪感と鬱状態から、自分の部屋のベッドに引きこもった。薬の副作用から24キロ体重は増加し、3日に1度お風呂に入るのがやっとの状態。「もう自分の人生終わった」と思い、リアルの友人からの連絡を断ち切り、布団に横になっているときはひたすら死ぬことばかり考えていた。

そんな私がはまったのが、夜家族が寝静まったあとの、チャットサイト。楽しそうで華々しい大学生活を送る、リアルの友人は、まぶしくて妬ましくて憎くて。友人のことをそんな風に思ってしまう自分が、嫌いで苦しくて。だから、連絡を取ることはなかった。でも、誰かと繋がっていたかった私は、匿名でチャットができるサイトに入り浸った。
そのサイトは、チャット相手を自分で選ぶことなく、サイトを開くとチャット相手がランダムで選ばれるようなシステムだった。なので、たまたま気が合う人と当たったら話がずっと盛り上がるし、逆に合わない人だったら、1ラリーでルームから退出することもあった。

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健全なみんなが働いている/学んでいる昼間は、まぶしすぎて起きていることができなかった。みんなが寝静まったあとに、昼夜逆転している私は、やっと息をすることができる。深夜のチャットが、その当時の私の生命線であった。

そんなある夜に、いつものようにチャットサイトに入ると、いつものようにランダムで相手が選ばれた。男性だった。「こんばんは、初めまして。〇〇と申します」と挨拶する。何度チャットをやっても、最初の挨拶はやはり緊張をはらむ。

「はじめまして。△△と言います」

と相手から返ってきた。同い年で住んでいるところも比較的近い(それでも東京としかお互い言わなかったけれど)ということもあり、途絶えることなく会話のラリーが続く。20分ほど話して、そろそろ切り上げようかなと思っていたころ、△△からのチャットが返ってくる。

「もうそろそろ寝ようかな、と思っています」
「そうですね、私も眠くなってきました」
「じゃああと5分だけ続けますか」
「そうですね」

あと5分か、良いチャット相手だったなあと思っていると、彼は続けてこう返してきた。

「残り5分だけ、付き合っている恋人として話しませんか。ちょっと今日寂しくて」

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そのチャットを読み、気が付いた。リアルの友人をまぶしく妬ましく憎く思っていたと思い込んでいた。しかし、私はずっと寂しかったのだと。寂しくて辛くて泣きたかったのだと。気付いたら十指はキーボードの上を勝手に走る。

「恋人、良いですね。私も今寂しくて」
「じゃあそうしましょうか、〇〇、今日はどんな1日でした?」
「ごはんを食べることしかしていません」
「そうか、よく頑張ったね。お疲れ様」
「△△は、どんな1日でした?」
「えっとね……」

ラリーは続いていく。ごはんを食べることしかしてない私に、彼は「お疲れ様」と言ってくれた。その言葉にふと涙をこらえている自分がいた。

「もう5分経ちますね……。ありがとう、彼氏になってくれて」
「こちらこそ。良い彼女だったよ、おやすみ」

こうして私の5分間の彼氏は、消えていった。5分間だけの恋だった。

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あれから10年が経った。私は、複数回の入院や休学・休職をするも、大学を卒業し、社会人として働いている。そして婚約して入籍を控える身となった。10年前からは考えられないほどのリカバリーであり、順調な人生へ戻ることができたと言えるだろう。

でも、ふとした瞬間に、あの5分間だけの彼氏を思い出す。顔も本名も声も何も知らない彼であるが、10年前の孤独で寂しかった私を、少なからず救ってくれた。彼のことで唯一分かるのは、性格だけ。そう、彼はとっても優しい彼氏だった。

拝啓 顔も本名も分からない元彼へ 
優しいあなたが、今は寂しい夜を過ごしていないことを、遠い空からか近い空からかも分からないけれど、祈っているよ。5分間だけだけれど、良い恋を味わわせてくれてありがとう。
敬具