二十二歳の時、私は二十五個年上の人と恋をしていた。その人は予備校講師で、直接習ったわけではないけれど、浪人生の時に講師室で見て一目惚れした。

大学生になって周りに良い人がいなくて、連絡先を書いた手紙を持って夜の校舎で出待ちした。手紙を渡たら、あっという間に返事が返ってきた。曰く、「かっこよかった」。

それから一緒に夜ご飯を食べるようになった。最初は予備校の話で盛り上がったけれど、段々話題がなくなっていった。何せ相手は私よりもうーんと頭が良くて、その上二十五個も年上だ。教養・時事ネタ、全てが段違いで、私はついていくのに必死だった。

「古典で初めて読んだのは『方丈記』」と言われれば、大学の図書館で借りて読んだ。「坂口安吾の『日本文化私観』が好き」と言われれば、分厚い坂口安吾全集を持ち歩いて読んだ。

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でも、先生はその時の等身大の私を気に入ってくれていたように思う。
イタリアンを食べていた時のこと。
私「巻いてあるのが美味しい」
先生「バラ肉ですね」
私「巻いてあることが美味しい」
これは、サーロインステーキみたいなものに、バラ肉が巻いてあるものを食べた時のやり取りだ。先生は私の返しに何も言わなかったけれど、感心していたように思う。

なにせ、あの会話の出典は『十訓抄』の「文字一つ返し」なのだから、感心するのも無理はない。無理はない。

もう一つエピソードがある。レストランの店主さんが兵庫県明石市のご出身だと聞いて、私がとっさに「明石!?」と驚いたら、店主さんに「明石、知ってるの?」と言われて、なんにも考えずに「大学で『源氏物語』を勉強しているんです」というと、少しの沈黙のあとに先生が「意味分かる?笑」と店主さんに言っていて、私は「主人公が途中で須磨に流されるんです」って説明したけれど、店主さんは「須磨?修学旅行で行ったよ??」ときょとんとしていて、私は店主さんに恥をかかせてしまったかなと申し訳なく思ったけれど、もしかしたら先生は、「この子は教養があるな」と思ってくれていたかも知れない。

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だが、愉しい日々はあっという間に過ぎて、先生とお別れすることになった。私は、年齢差が要因だと思っている。今も先生のことは好きだけれど、学んだことが三つある。

一、かっこいいような見た目の美しさは武器だという事。
二、文学の教養も武器だと言う事。
三、おっとりマイペースなところも魅力だとう事。

三番目のおっとりマイペースエピソードはこんなものだ。先生は香りが好きで、私も香水デビューした時のこと。

先生「どんなかをりだらうかね?」
私「フルーティー系ってなってた」
先生「フルーティー系ってなってた?笑」

メールでやり取りをしていたのだが、私は初めての香水だったから、香水の香りを嗅いで、どんな香りなのかを説明することは全くできなかった。だから、お店のポップにあった文言をそのまま送ったのだが、どうもそれが受けたようだ。

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先生と会う前後で変化したことは、幅広い教養を身につけるようになったことだ。当時は、習い事のクラシックバレエしか趣味が無かったが、先生は週に一回は映画館に行っていて、私は映画にもよく行くようになった。美術館も行くようになったし、スポーツのニュースも追うようになった。

先生との恋があったからこそ、「私は文学なのだ」という自信になっている。

先生は大学院を卒業して、三十歳で今の仕事に就いた。それまでは、お金が貯まったら南米に滞在して、という生活を送っていたようだ。

私は今、持病により新卒で入社した会社を辞め、職を探している。そんな時にエッセイを応募してみたのは、あの恋が原動力になっているに違いない。