もしこの世界に恋愛がうまい人と恋愛がへたな人が存在するならば、私は間違いなく後者に該当するだろう。

そもそも私は恋愛をする以前に、「恋愛って何だ?」と頭のなかで考えてしまう人間である。小学校、中学校、高校、大学……と進んできた私ではあるものの、高校までは恋愛に全く興味がなく、周りの恋バナに相づちを打つだけであった。
「何でみんな恋愛をするの?そういうものなの?」と疑問に思っていたほどだ。

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そんな私もなんやかんやありつつ、大学卒業後に初恋の人と両想いになることができた。しかし、両想いになるまで私の脳内はレンアイッテナンデスカ?状態だった。まるで予測不可能なロボットのようだった。

まず私の場合、恋に落ちたかどうかがハッキリと分からない。
私の友人に「あの人のこと好きになっちゃった!どうしよう……」とか、「友達としてではなく、本当に好きなの!」と言われたことがある。でも、私は“好きになる”こと自体がそもそもよく分からない。そして、“本当に”好きとかも同様に理解できない。
「好きに本気も嘘もあるのか……?」と考えてしまう。

そんな私がひょんなことから恋に落ちた。“本当に”好きなのかは定かではないが、その人と過ごしていくうちに私の目がハートになってしまったことは事実である。その人が頭から離れないとか、会えたら一日ハッピー!会えなかったら一週間落ち込む……といった変化が私に訪れた。
そして、自身の異変に気づいた私はある行動をとった。それこそ私が自分で恋愛がへただと思う所以である。

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私は恋愛関係の本をひたすら読みまくった。「相手と両想いになりたい!」という気持ちからではなく、「恋に落ちたのかどうか」を確認するためにありとあらゆる本を読み漁った。
プラトンの『饗宴』、スタンダールの『恋愛論』、マルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』など挙げたらきりがない。恋愛心理学という本も読んだ。
恋愛関係の本を読んだ私が出した結論は「結局、人々が抱く恋愛感情は私には理解できないけれど、私があの人のことが好きなのは確かな事実である」というものだった。

恋愛関係の本を読んでいても分からないことばかりで、「昔の人はこう感じてるし、こう思ってるけど、私は違う……」とか本の著者に共感できないこともしばしばあった。
本を頼りにしてもこの気持ちが恋なのかどうかも分からない。何をしたら相手の気をひけるのかも分からない。ひたすら分からないことから始まる恋だった。

本を読んでも恋愛が理解できなかった私が次にとった行動……それは想い人にドイツ語が出てくる論文を持っていくというなんとも奇妙な行動だった。「ドイツ語が話のネタになったりしないかなぁ……」と悩んだ結果だった。
論文を印刷しながら、「私はなんでこんなことをしてるんだろう?」とふと我に返ったときもあったが「想い人の心を掴むにはドイツ語が一番!」という謎の自信によって不安はかき消された。
因みに論文を見たときの想い人の反応は「ここのドイツ語の綴り、誤植だね。間違ってるよ」だった。多分、私は彼の心を掴むことには成功したようだ。

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このように(?)なんやかんやで初恋の人とハッピーエンドになったわけではあるが、このエピソードを友人に話すと「何でそんなに本を読むの?何でドイツ語で書かれた論文を持っていこうと思ったの?何も考えずにご飯とか誘えばいいじゃんー!」と言われてしまう。
ご飯とかお出かけに誘うことが恋愛的には正解なのだろうか……。
でも私は恋愛がへたでも愛しい人と両想いになることができたので、結果オーライである。

おそらく無いとは思うが、私のこの体験談が誰かの恋愛の参考になれたなら本望だ。