以前綴っているとおり、わたしは夢だった音楽大学を3年半で自主退学している(「卒業間近で音大を退学。両親の期待に見合う価値の自分はどこへ?」)。高校は吹奏楽の強豪で青春の全てを部活に捧げ、かなりハードで充実した3年間を過ごした。

部活ばかりでクラスの思い出なんてほとんどないけど、進路指導の面談は覚えている。3年間お世話になった担任は、進路希望調査の「◯◯音楽大学」の文字を見て、「俺は音楽のことは分からないけど、芸術っていうのは狭き門だろ。卒業しても就職先が少なかったりするんだろう。それでも行きたいなら、頑張れ」と。受験当日も「まぁ、お前なら大丈夫だろ」と鼓舞してくれた。

退学した事実を申し訳なさとプライドで、先生方に伝えられない

受験には合格し、音楽大学に進んだ。大学は高校とは離れた場所にあったし、音大生は忙しく、高校に遊びに行くなんてことはできなかった。
演奏技術的課題が山積みで、練習に追われる日々。大好きな音楽に追われる生活を順調に楽しんでいたけど、精神を崩して休学、その後退学。夢の音大生は、3年半で自ら幕を下ろすこととなった。

芸術の道は狭き門であり、それでも行きたいのならと背中を押してくれた担任。
わたしの学年には無縁だったのに、小論文を何度も添削してくれた国語科の先生。
学生指揮者という立場にありながら2週間の仮引退を許可してくれた顧問。
東京藝大卒業という肩書きを持ち、わたしを音大へ推薦してくれた副顧問。
母校の先生方には感謝してもしきれないのに、退学したという事実を自らの口から伝えるのが申し訳なくて、というかきっと自分の要らないプライドの為に言えなくて、挨拶に行けなかった。その後、妹も母校に入学するのだが、コロナ禍ということもあり文化祭には行けず。
お世話になった先生方は、妹の口から、姉の事実を知ることになる。

「道はひとつじゃない」。先生の言葉でやっと自分を許せた気がする

どう思っただろう。そう考えると、余計に行けなくなってしまう。精神を患ったと知れば、あいつも弱くなったなと思われてしまうのではないか。高校時代はあんなに自分に厳しかったのに、甘くなったなと失望されるのではないか。

退学後3ヶ月の休養期間を設けてから社会へ出たわたしは、もうすぐ社会人2年目に入る。社会人を少しだけ経験して、やっと母校に顔を出す決意ができた。

顧問に連絡して校内に入れてもらった後、まず授業でお世話になった先生の元へ。姉妹揃ってお世話になったから、話が弾んだ。卒業後の話をしていなかったから一通り話したら、「道はひとつじゃないから」と。

道はひとつじゃない。身をもって経験したことなのに、先生に言われてやっとその言葉を、それを経験した自分を、許せた気がする。
先生が「他に会いたい先生いる?声掛けに行くけど」とおっしゃったので、「実は担任に会えてなくて」と伝えると、一緒に学校内を探し回ってくれた。そして体育館で部活指導をする担任を見つけ、呼んできてくれた。

「報告に来るだけでいい」と言う担任。今日ここへ来てよかった

担任は「おう、来たのか。ちょっとここ座れ」。怒ったような口調で笑顔を見せるあたり、担任は何も変わっていない。「なんで怒られるトーンなんですか」とさりげなくつっこむわたしも、きっと当時と変わらない。

座るや否や、「で。どうなんだ、体調は」。ずっと挨拶に来なかったことを冗談めかしく怒られるかと思ったら、第一声がそれか。心が軽くなった。
「もう全然元気です」と答えると、「そうか。まぁ、色々あったんだろ?そんで勝手に後ろめたくなって、来れなくなってんだろ?」と図星ばかり突かれる。さすが、3年間担任だっただけあるなぁと恥ずかしくなった。
「お前なぁ、俺らがやるのは進路先に送り出すことで、そっから先は知らない。こうやって報告に来るだけでいいんだよ」と。

今日、ここへ来てよかった。