死にたいと言った私に、ある友人はこう言い放った。
死んでも治らないから死に損だよ、と。

飽き性の私は、ずっと浮気症が治らないままだけれど

私は飽き性なのかもしれない。男性とお付き合いをしても、誠実な関係を続けるのは長くても1年が限界だ。
付き合い始めた1年目は全てが2人の初めてで、見る景色全部がキラキラしていて楽しい。嫌なところがあっても目をつぶれるし、比較的何をされても言われても許せてしまう。尽くすタイプだし、いつも笑顔でいるし、労ることもお相手を立てることも忘れない。
そんな完璧彼女を演じるのも1年で限界を迎えてしまう。2年目に入ると途端に冷静になり、完璧彼女のスイッチが切れてしまう。
相手の嫌なところしか見えなくなり、尽くすのがバカらしくなる。そうすると付き合っている意味について考えてしまい、現彼氏をキープしつつ、次の彼氏候補を探してしまう。
つまり浮気だ。これがどうもやめられない、治らない。
最低なことをしている自覚はもちろんある。嫌悪感に苛まれ、死にたくなるというループだ。

彼氏に依存しがちなところはあると思っていて、趣味を充実させたり仕事を頑張ってみたりして気を紛らわしてみたりもした。でも、抑制に一時的な効果はあっても継続できない。
彼氏と別れてしまえば全て解決することではあるが、一人は寂しいし、情もあるので別れがたい。性悪でずるい女だ。そして、合コンやマッチングアプリで知り合った人と出掛けたりする。
でも結局、彼氏に勝てる人なんていなくて、ワンナイト狙いの人なんかもいて、世の中にがっかりして帰宅するのがザラだ。
私がこうなったのも、昔の彼氏が浮気をしたからとか、突然蒸発したからとかいろんな理由があるけど、どんな理由をつけたって悪いのは自分だ。分かっている。
でも5年くらいこのままなので、変えられる気がしない。変わりたい、変えられない。葛藤との戦いだ。

お酒を飲みながら、友人の前で「死にたい」と号泣していた

こんな話をある古くからの友人に話すと、全力で呆れていた。
私の浮気話も聞き飽きているので、もはや怒ったりはされない。避妊だけはちゃんとするんだよと言われるくらいだ。
全否定されないことに愛を感じる。もう諦められているんだろうけど。
ただ私にも罪悪感や嫌悪感に襲われる日があって、お酒を飲みながらこの友人の前で号泣していた。死にたいと何回も嘆いた。そしたら言われたのだ。

どうせ死んでも治らないから死に損だよ、無駄死にだけはやめときなと。

その言葉を聞いて気持ちが軽くなった。情けない話だが、変えることができないと思っている。でも死ぬことはないんだなと思えた。その日から気持ちを切り替えて、変えられないことを思い悩むのはやめようと思った。

愛だ恋だと言ったって、結局女の友情ほど最高なものはない

もちろん節度は守るし、大前提でその時付き合っている人と向き合うつもりだ。
あの日の友人の言葉のおかげで、もうあの時のように死にたいとは思わないし、私の性格をよく知っている彼女は、最も適切なアドバイスをくれたと思う。

友人の一言が私を変えたのだ。いくら愛だ恋だと言ったって、結局女の友情ほど最高なものはない。