あ、ちぎれそう。
5年ほど使っているイヤホンが壊れそうになった。有線の根元がちぎれかけている。
がさつで乱暴者なので、物持ちが非常に悪い私にとっては持った方かな。しかし如何せん、買い替えるための2,700円は少々痛い出費だ。今月は本にお金を使い過ぎたかな、と反省しつつ、安いのはないかとスマホで調べる。

ああ、そうか。今なら無線のAirPodsもあるのか。
そういえば、無線のAirPodsを使っている弟が、最近故障したって言っていたな。ストアで修理を依頼したら、1か月のバイト代が飛んでいきそうって嘆いていたっけ。げ、AirPodsってこんなにするの。2,700円は傷としてはまあ軽傷だが、AirPodsは安いもので20,000円以上する。致命傷、ご臨終。でもめちゃくちゃ便利って言ったし、社会人だから良いもの持ちたいしなあ。
財布の中を見ると、頼りなげな野口英世が3人だけ、遠慮がちに顔をのぞかせていた。

ああ、もう今のが壊れなければ、こんな逡巡しなくて済むのに、と恨みがましく、掌中の根元がぶらぶらしているイヤホンをにらむ。そしてふと思う。無線のAirpodsなら、有線イヤホンのようにちぎれることも動きが制限されることもないのだと。
そう思った瞬間、私の意識は10年前に飛んで行った。

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2012年、私は高校3年生だった。その頃はスマホが普及し始めたころで、大学に受かった人から合格祝いにスマホを買ってもらうことが多かった。無線のAirPodsなどなく、当然みな長いケーブルをぶらぶらさせながら、有線のイヤホンを使っていた。

無線が普及した今では考えられないかもしれないが、初期のAirPodsが発売されたころ、その形から「耳からうどん飛び出ているみたい」とネットでは笑いものになったものだった。そういう、時代だった。

そのころ、私には好きな人がいた。毎年クラス替えがある中、唯一3年間クラスが一緒であったクラスメイト。元々仲は良かった。3年目のクラスの席替えで席が前後になった上、二人とも受験勉強をするために毎朝早く登校し一緒に勉強するようになると、私の中で彼はどんどん気になる存在へと変わっていった。

「まよ、明日の朝起きられないからモニコしてよ」と彼に言われると、「自力で起きろ!」と言い返す。でも翌日の朝は、どきどきして言われた時間の30分も早くケータイを握って待ってしまうくらいには、大好きだった。

7時半に登校すると、勿論教室に一番乗り。机の上で世界史の教科書を開くも、耳は彼の足音を待っている。二番乗りの彼が来て挨拶を交わすと、黙って二人で勉強する。その会話もないのに気まずくもならない沈黙の時間が、大好きだった。

でも、それを口にする勇気は私にはなかった。中学時代に告白して二度振られたことのある私は、誰かの恋愛対象に入れると期待するような女の子としての自信を失っていた。そして気軽に告白したとて、振られたとき気まずくなり失う相手としては、大切すぎる関係であり、大切すぎる時間だった。そういう、恋だった。

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そのころ、彼はお気に入りのヘッドホンを失くしてしまった。1万円以上もする、性能もデザインも非常に良いやつだった。彼は何日も探していて、私も探すのを手伝ったが、ただの紛失ではなく、残念ながら盗難の線が強かった。

探しているある日、シャドーイングという英語の授業が予告された。シャドーイングとは、英文の音声をイヤホンで聞きながら、聞いた英文をそのままなぞるように発音していく、というものだ。
そんなの簡単だよ、と思うかもしれないが、試しにやってみて欲しい。英語を勉強するのに非常に良い勉強法だが、これがまた非常に難しい。

そして、この授業の恐ろしいところが、先生に指名されてクラスメイトみんなの面前でやらなければならない、という点だ。練習しなければ、クラスメイトの前で、無言で立ち尽くし赤っ恥をかいてしまう、という恐怖の時間なのだ。

そのシャドーイングの授業がある日の朝の勉強時間。ヘッドホンを失くした彼に、緊張しながら勇気を出して「片耳使う?」とイヤホンを差し出した。「ありがとう」と言って彼が受け取る。
一つのイヤホンの右耳は私、左耳は彼。英文は勢いよく耳に入ってくる。集中しなければ、集中しなければ。

でも、でも、でも。有線イヤホンのケーブルの限界でいつもより彼が近い。顔が目の前にある。いやこれキスの距離やん。どきどきとうるさい自分の鼓動で英文どころではない。ケーブルを通じて、その鼓動が相手に聞こえてやしないか、またさらにどきどきする。

制限がある有線のイヤホンが私たちを、物理的にも、心理的にも、一番近いところへ近づけてくれたからだ。「速いね、この英文」と緊張を隠すために私が言う。「ん」と短い彼の答え。速いのは英文ではなく、私の鼓動だった。

結局何の練習にもならず、私はクラスメイトの前で赤っ恥をかいた。

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あれから10年が経った。彼とは結局仲の良い友達のまま卒業し、一度も会っていない。女の子としての自信がなかった私は、どうしても告白して関係を変える勇気がなかった。私の勇気の限界は、「片耳使う?」だった。

でもその勇気の一言には、甘酸っぱい思い出が思い起こされる。そして、今の無線AirPods世代は便利だけれど、「片耳貸して」という言葉もあんなにどきどきすることはないんだな、あの恋の始まりを匂わせる言葉がないなんて少し可哀そう、と思うと、若干の優越感を抱いている。

もう一度、イヤホンを見る。そして今度はこう思う。このちぎれそうでちぎれない、ぶらぶらしているイヤホンはまるで私のようだ、と。完全に断ち切るわけでもなく、一本の線で細くゆるくつながっている。
たまに過去の甘酸っぱい片思いたちを思い返しては、少し浸り少し妄想し、日常を色づける。それもこれも現実に戻っても、今幸せな恋をできているからこそなのだけれども。

結局イヤホンは有線のものを買った。理由は、ただ安いからだけではないのは、ここだけの秘密。