4年前の夏、私はキャリアのハンドルが手を離れてしまい失意のどん底にいた。春に突如迫られた部署異動。この先考えていたキャリアプランが崩れ、ショックから立ち直れなかった。今、私はキャリアのハンドルを取り戻し、職業人生をかけた挑戦の真っ只中にいる。今回は決意を新たにすべく、自らの足取りを改めて整理したい。
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私の仕事は、実用書の書籍編集。新卒から2社目で、以前の仕事は工学専門書の編集だった。今思えば、家政学系の学部を出て大学院にも行かなかった自分が進むには、無理のある道であった。手がけた本は、「大学教授が教科書として指定した自著を学生が買う」ことで商売が成り立っていた。
本そのものの魅力が読者にとって買う動機になりにくいところと、手がけた本の内容の全てを把握しきれず責任が持てないところに限界を感じ、「書店で読者に直接選ばれる本を作りたい、できれば自分が得意な分野で」という気持ちが昂じて転職を決意したのだった。
5年前の夏、必死の転職活動が実を結び今の会社に入った。配属先は比較的一般向けの実用書を作る部署。上司と私のたった二人の部署で、当初からいろんな人に心配をされた。なんと、上司のパワハラのために部下が何人も去っていたらしいのだ。上司から昨日言われたことを今日覆され、事あるごとにキーボードをバンバンと叩き、当たり散らされる日々。
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「私は、私が世の中に必要だと思うものを自分の力で作るんだ」という気持ちひとつで、なんとかこらえていた。ところが春先に上司の口数が段々と減り、とうとう心の病で休職されてしまった。数々の理不尽は心を病んでいたからだと今になってわかるが、だからといって許す気持ちにはなれなかった。
一人になった私。実用書の編集経験に乏しい私一人でこの部署を回すことは、現実的な選択肢にはならなかった。上司が休んで2か月ほど経った4年前の夏、二つの部署のどちらかを選べと迫られ、「比較的中身が理解できそう」という消極的な理由で資格対策の本を作る部署に入った。
ちなみに、いずれの選択肢も前職で限界を痛感した工学系が中心であった。休職中の上司から受けた様々な圧力のせいで萎縮するようになった私は、苦手な分野で新しい企画を作る気力をすっかり失っていた。このとき色んな先輩が相談にのってくださったが、「私の時代のほうが大変だった、だからあなたはまだ大丈夫」と言われることが多く、独りぼっちのつらい気持ちに追い打ちをかけた。
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そんな中、「あなたが得意な分野に近い本を作れば」とのアドバイスには心救われた。ただ、そのとき作りたいと思った企画は競合が沢山いる超・レッドオーシャンな市場。この先の不安に押しつぶされて眠れない日々が続き、疲れきった頭で打開策を考えることは険しい道のりだった。
夜23時に寝ても朝3時に目覚めてしまう。最初は些細な変化だった。「眠い」「休みたい」という気持ちにだんだんと支配され、大量のカフェインに頼り、歯を食いしばって比較的作りやすい企画を出して仕事を繋いだ。ボロボロの心と身体に追い打ちをかけたのが3年前に始まったコロナ禍。
テレワークで誰にも会えず、ワンルームでパソコンに向き合う日々は、「休みたい」という気持ちを「消えたい」という気持ちに変え、何もかもが億劫になってしまった。特に台所に立つのがつらく、店屋物に頼る日々。漢方、カウンセリング等色々と試したが、どれも効果がなく、貯蓄ばかりがみるみると減っていった。
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1年半前の冬、手首に包丁を当てようとしている自分に気がついた。命を絶つ気持ちはさすがになかった「はず」だが、「これはさすがにまずい」と感じた。LINEの相談を通じて行政の窓口に繋がると、精神科を勧められ投薬が始まった。幸い仕事は続けても良いとのことだったので、とにかく生活のため、底を突いた気力を振り絞り続けると、少しずつ新しくて難易度の高い企画を作れるようになった。
投薬により徐々に眠れるようになり、気持ちが落ち着いてきたのが半年後、つまり1年ほど前のこと。以前いただいた「あなたが得意な分野に近い本を作れば」とのアドバイスをようやく実行できる気力と体力が戻ってきた。幾度にもわたる綿密な調査と再度にわたる企画の練り直しを経て、半年ほど前、大きな予算を必要とするこの企画を通すことができた。
薬の量がぐっと減った今、来年の刊行に向けて着々と制作を続けている。このほかにも新しい市場に挑戦する企画をいくつか作り、新しいキャリアのハンドルを握って私のフィールドを開拓している最中である。この4年間は仕事でのショックとコロナ禍に貴重な20代の終わりを奪われた。それでも人生はまだ時間がたっぷりとある。新しいことに果敢に挑戦して、実り多き30代を過ごしてゆきたい。