大学2年生の夏、彼氏が初めて実家に遊びに来た。時刻はもうすぐお昼。最寄駅直結のスーパーで、炒め物が主菜のお弁当をふたつ買い、家で一緒に食べることにした。

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玄関からまず洗面所まで案内して手を洗い、リビングで先ほど購入したお弁当をふたつ取り出す。透明な蓋を開けて割り箸を割り、「いただきます」と彼はそのまま食べ始めた。

「え、温めるよ?!」当然のようにお弁当をレンジに持って行こうとした私は慌てて止めたが、彼は涼しい顔で「いいよこのままで」と頑なに遠慮する。冷めたお弁当をそのまま食べることを、さして問題にしていないようだった。

「あなたには温かいもの食べてほしいから!」

痺れを切らして思わず口から滑り出した言葉に、自分がびっくりした。こんな言葉を誰かに言うのは、これが初めてだった。彼は涼しい表情から一変、頬を緩めて食べかけたお弁当を差し出してくれた。

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私は料理が苦手だ。作ることもそうだが、どちらかといえば献立を考えることが好きじゃない。

実家にいれば自炊することはまず無いし、社会人になってからの仕事場は全て飲食業だったため、食べ物には困らなかった。今まで「食べ物を作ってくれる人がいる環境」に、運よく身を置けていたのだ。

そんな私も一時期、熱心に自炊していたことがある。社会人2年目、もうすぐ付き合って4年に差し掛かる彼氏と同棲を始めた年、そして新型コロナウイルスが大流行した年だった。

勤めていた居酒屋は休業になり、私は指定されたスーパーに出向する日々を過ごしていた。午後出勤終電帰りの生活から一変、9時出勤17時帰りのまるで正規の社員のような初めての生活。時間を持て余した私は気晴らしに料理をするようになった。

「今日は何を作ろう」と考えながら近所のスーパーに買い出しに行くと、いつも彼の顔が浮かぶ。彼は私が料理をする姿を見ると決まって「美味しそうな匂いがする……!」「文化的な生活をしている気分だ」とニコニコした。彼もまた、普段自炊をしなかった。

そんな反応を見たくて、自炊を始めてまもなく、出社した彼に「何時ごろ仕事が終わるか」「お昼休憩はいつか」細かく訊ねるようになった。

この頃、かつて母が「帰ってくる時間を教えて」と毎回しつこく訊く理由や、「夕飯いらないんだったら早く言ってよ」とあれほど怒る理由も、やっとわかった。料理は作り立てが最も美味しいことは、作る人がいちばん知っている。いちばん美味しい状態のものを口にしてほしいし、願わくば一緒に食べたい。それが大切な人なら尚更だった。

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「おかえり。ご飯にする?お風呂にする?それとも……」

それから4度目の春、時を超えてあらゆるカップルに使い倒されてきただろうセリフで出迎えたパートナーは、前日から「明日の夜は餃子を焼く」と宣言していた。仕事帰り、3つの選択肢の中で「ご飯」を選んだ私に、「すぐできるから」と、フライパンにありったけの餃子を敷き詰めて、隣の手鍋で手際良くスープを作る。パートナーもまたこうしていつも、私が帰る時間に合わせてご飯を作ってくれる。

餃子は何を付けて食べるか、ラー油はいるかいらないか、白米と一緒に食べられるか食べられないか。付けっぱなしのバラエティ番組をBGMに、そんな些末な価値観を擦り合わせながら、同じ食卓を囲む。初めて食べるパートナー一押しの餃子は、大きめなニンニクが中心の具材で、出かける前には食べられないなと思った。

「温かいものを食べてほしいと思うのは、当然のことだよ」以前「先に作ってくれていいのに」と遠慮した私に、パートナーはそう応えた。

誰かのために料理すること。それは、誰かの「美味しい」を願うこと。
今日の食卓も、美味しいものと、「いちばん美味しいものを食べてほしい」と願う愛で溢れている。