あの恋があったから恋の酸いも甘いも知れた気がするの。
去年十二月まで、私には恋人がいた。仮名は拓。
よくはないがとある配信アプリで知り合い、付き合いだした。結局その恋は数か月で終わりを告げたけど。どちらだけのせいではない。多分双方に原因があった。私の比重が多そうな気もするけど。

私には高校時代、恋人がいた。Yと名乗る彼は、自称サディスト。そのためもあり、傷つきもした。もちろん傷つけもしたが。
その彼から受けた傷はでかく、数年間、付き合うという気が起きなかった。怖かったのだ、恋というものが。付き合うということが。私が私でなくなっていく感覚が。恐ろしいものに感じていた。
それを拭ってくれたのが、今思えば拓だろう。傷ついた私に、忙しい中時間を割いてくれた。好きだと囁いてくれたのだ。

◎          ◎ 

けれど私は信じ切れなかった。どこか思ってしまったんだ。「本当に?」と。
「本当に体目的じゃない?」って。
今までネットで関係持った人の大半はそうだった。違うと言ってはくれている。けれど、本当にそうなのか。その気持ちはずっと拭いきれなかった。

それだけじゃない。私が彼とのことをエッセイにしたこと、詩にしたことも原因だろう。本人許可は得たし、ちゃんと見せてはいた。けれどきっとそれがいけなかった。

忙しい最中の彼に、毎回見せてチェックを頼むのは、きっと苦だっただろう。その内容が赤裸々な私の感情吐露となれば余計に。時折、「えぇ……」と声に出ていたのも知っている。軽く引いていたのではないかとの気持ちが頭にあった。ずっと、消せなかった。

こう聞くと恋は悪く感じるかもしれない。けれどそうじゃない。楽しいこともあった。
通話する楽しさ。通話とはいえつながっていると実感できる喜び。寝るときに声が聞こえる安心感。常日頃あったことを話せる嬉しさ。誰かの支えになれているかもしれない安堵。

実際会うことは一切なかった。けれど、確かに愛されていた。愛していた。
拓のおかげで、私は恋の恐怖から少しだけ解放されたように思う。と言ってもまだまだあるけれど、少なからずあの時言ってくれた、好きの言葉と幸せにしたいという言葉は嘘じゃなかっただろう。

◎          ◎ 

本当かはわからずとも、口だけだとしても、愛を囁いてくれる人はそれからも現れた。もちろん本気にしたものもある。遊びだと流したものもある。ただ、そこまで傷つかずにさらっと「ごめんね」が言えるようになったのも、「好きだよ」が言えるようになったのも彼のおかげだ。

恋は独りよがりじゃいけない。ひとりだけ燃え上がってもいけない。同じ熱量を持つ同士がちょうどいいと気づかされた。盲目的じゃいけない。距離はある程度必要。冷静に見る力も必要と。

言いなりになってはいけない。素直に自分の感情は伝えなきゃいけないし、伝えてもらえる関係性でないと意味がない。恋はひとりでできない、相手がいて成り立つものなのだから。

私はようやく、それに気づけた。遅すぎるかもしれないけど、まったく気づかないよりましだよね。きっとしばらく私は誰とも付き合わない。拓の後少し付き合うことがあったが、それで懲りたともいう。

けれどいずれはしたいもの。私がまた、好きと素直に言える相手ができたなら。互いに素でいられて言いえる相手ができたなら。溺れずに、前を共に向ける相手ができたなら。
あの恋があったから、私はようやく前を向ける。恋というものに怯え、苦しみながらも、誰かを愛したいと思う。
いつかその時が来れば言えますように。