鏡の前で踊る自分のテンポが、少しずつ周りとずれていく。
鏡越しにテンポがずれていく自分の踊りを見続けていたら、突然呼吸ができなくなり、踊ることも、立っていることもできなくなった。人生初めての過呼吸だった。

周囲からの視線を背中越しに受け止めながら、レッスン室の外に担ぎ出された日はセミの鳴き声が良く聞こえる晴天の夏。
寝転がらされたコンクリートの上はひんやりしていて、顔を上げると、建物の間からは真っ青な空が目に入る。
火照っていた体と頭は冷え、こんなに綺麗な夏の青空を前に、むなしく倒れている自分に「こんなところでで、何をしてるんだろう」と恥ずかしくなった。

ダンスという存在は、ひと時だけ自分のことを認めてあげられる武器

小学校3年生の時、テレビで見たダンス甲子園をキッカケに、私はダンスを習い始めた。
今では中学校の体育の授業でダンスは必須になっているみたいだけど、当時はダンスを習っている子がそこまで多くなかったから、学校では「ダンスを習っている人」という認識をされることもあったぐらいだ。

特に中学校の3年間は、冬になると男子は球技大会に向けて球技の授業、女子はダンス大会に向けてダンスの授業があって、その振付を考えることは自分にとっては当たり前になっていた。
3年生では体育祭の応援団にみんなが入り、応援合戦の時間は男女一緒にみんなでダンスを踊るのが学校の伝統だったので、クラス替えをした日に「あ~体育祭のダンス任せられる人がいてよかった~!」と目立つタイプの女の子に言われるほどだった。
そしてその言葉は、普段目立ちもしない私にとって、自己肯定感を上げてくれる唯一の言葉で、ダンスという存在は、ひと時だけ自分のことを認めてあげられる武器のようなものだった。

友人から逃げるため、ダンスという武器を口実に県外私立高校へ

そんな武器を口実に、私は県外の私立高校への受験を決めた。
大会強豪校である高校で「頑張りたい」という気持ちを三者面談で母に伝えたが、その気持ちの8割は嘘で、当時私のことを「八方美人」と呼ぶ友達から逃げるため、絶対に彼女に会うことのない場所で暮らしたかったのが本当の理由だ。
その高校は県外から通うことはできず、県外から入学する生徒は寮生活をすることが決まっていて、私の狙いはそこだった。
だから、今思い返すとダンスは「好き」ではなく、自分を好きになるために、最後にすがりつけるものだったのかもしれない。

そんな想いで入った高校のダンス部。熱く、一致団結して踊る部員の中にいる自分は鏡の中でいつもちょっと浮いていた。
それは「上手い」とかのスキルの問題ではなく、気持ちが合っていない。そんな理由だった。鏡に映る私の顔はいつも楽しそうじゃなく、ただ踊っているだけの状態。
鏡に映る私はダンスが好きじゃなくて、ダンスで認められる自分が好き。なんてことに気付いてしまったが最後、踊るのが本当に楽しくなくなってしまった。

そんな気持ちはいつの間にかストレスになり、人生初めての過呼吸を引き起こし、そして青空が広がる暑い夏の日、私は冷たいコンクリートの上で、自分にも、踊ることにも冷めてしまった。

ただ、しんどくなったタイミングは、ちょうど大きなイベントに向けてみんなで合宿をしながら練習を積み重ねる日々で、いつしか私は練習に行くことすらできなくなり、合宿を途中抜けして、逃げるように実家に帰った。

逃げ帰ってしまい、せめてイベントだけ観に行こうと腹をくくる

私の実家は高校まで電車で1時間30分あれば行ける距離にあったので、「気持ちが落ち着けばいつでも戻れるから」と、自分に保険をかけていた気がする。
ただ、一度冷めてしまった気持ちに火がつくことはなく、実家に帰った私の気持ちは変わることはなかった。
そんな時、母に「それじゃあ、先生にも先輩にも、同級生にも悪いから、せめてイベントを観に行くのが筋なんじゃないの」と言われた私は「それもそうか」と15歳なりに腹をくくり、ドキドキしながらイベント会場に向かった。

運がいいのか悪いのか、ただ会場までの道を歩いているだけでOBや先輩とはち会わせてしまいがちなのが私。でも、会う先輩たちはみんな優しくて、「待ってたよ」の声が、より一層自分をみじめにした。

公演で踊る先輩や。笑顔で「おかえり」と声をかけてくれる同級生。
そんな姿を見ても私の心はまったく揺れなかった。

公演が終わった帰り道、長年この部活で顧問をしている先生が別れ際に、「このイベントはOB含めて、全員が本気で向き合って、この日のために全力を注いできたイベント。今まで部員ひとりも抜けたことがないイベントで、この状況をOBはみんな本当に悲しんでいて……お願いだから、あと数日間戻ってきてくれないかな?」と頭を下げてきた。

その瞬間、私の心は冷めてしまった。

顧問のお願いに15歳の私は「戻らない」選択を自分で選んだ

漫画とかドラマなら、一度ぬけた部員がみんなの踊りに心を動かされ、部活に戻ってきて、その日から全力でダンスに打ち込む……といったお決まりかつ感動の流れが生まれそうで、そのまま戻れば私はいい役どころにはなれそうだけど、そんな役割を担うのはごめんだとおもった。

少し呼吸を置いて「わかりました。お疲れ様でした」と言って、歩き出した後、背中に刺さる顧問の先生の視線が痛くてしかたなかったけど、あそこで雰囲気に流されて「わかりました。戻ります」と言っていたら、きっと私はその後、ずっとつらかったと思う。

15歳の私が初めて自分で選んだ選択は。傍から見れば性根がひん曲がった人間のすることかもしれないけれど、それ以降私は「自分の人生は自分で選んでいくこと」ができるようになった。
だからあの夏の日、「戻らない」選択をしたのは私にとっては大きな挑戦で、大人になった今でも「間違いじゃなかった」と思える選択だった。