私の中学校には、“12月から2月は、女子の黒タイツ着用を認める”という校則がありました。これには、明記されていない続きがありました。“但し、2年生と3年生に限る”と。
1年生は、タイツを穿いてはいけないというのは、生徒なら誰でも知っているルールでした。誰がいつから始めたのか。それは分かりません。先輩が言ってたから、先輩も穿かなかったらしいから。こんな感じでした。
校則で「1年生はタイツを穿いてはいけない」という理不尽なルール
校則では許されているタイツを1年生だけは、穿いてはいけない。理不尽なルールです。でも、当時は誰も疑問に思っていませんでした。1年生は、スカートにくるぶし丈のソックスで我慢。これが当たり前。不満を口にする女の子もほとんどいませんでした。しかし、ある日事件が起こりました。
その日は、かなり冷え込んでいました。記録的な寒波が押し寄せた…、そんな日でした。朝、登校すると教室がざわついていました。女の子たちが集まって、小声で話しています。中心にいたのは、おとなしい女の子でした。その子の脚は、黒。彼女は黒タイツを穿いていたのです。
「先輩に目を付けられるよ」と周りの女の子たちに言われ、その子は半泣きになっていました。「お母さんが、寒いから穿いて行けって……」とその子は言いました。
担任の先生が入ってきて、どうしたのかと聞きました。私たちは事情を説明しました。「そんなルールがあるの」と、先生は目を丸くしました。地元では落ち着いた学校で通っていて、生徒たちも仲が良いと評判でした。裏でこんなルールがあったとは。先生にとってはショックだったでしょう。
「理不尽なルール」はどこかで、誰かが変えなければならない
この問題は、職員会議で取り上げられ、先生たちが上級生にアンケートを実施しました。ほとんどの上級生が、「自分たちもそうだったからなんとなく」と答えたそうです。1年生に嫌がらせをしようとか、そんなことは考えなかった。
一方で、「自分たちも寒い思いをしたのだから、後輩たちも我慢しないと不公平」と答えた人も少なくなかったそうです。気持ちは分からなくもありません。でも、どこかで変えなければならない。1年生もタイツを穿かないと寒いのです。
翌日から、私たちはタイツを穿き始めました。そして、翌年の冬。多くの1年生がタイツを穿いていました。「私たちの代が、理不尽ルールを変えたんだね」と、誇らしい思いで語り合ったことを覚えています。最初にタイツを穿いて泣いていた子は、私たちのヒーロー、いやヒロインになりました。
中学校を卒業して10年が経ちますが、私は社会のあらゆるルールにこの“タイツルール”の面影を見ます。特にメリットはない、でも守られてきたからなんとなく守る、自分が守ってきたから守らせる。こういうルール、たくさんあると思います。
ルールというものは、何かを守るためのメリットがあって成り立つもの
その一例として、私が思い浮かべるものがあります。それはナースキャップ。病院で見かけることはほとんどなくなりました。男性看護師の増加、衛生的ではない、邪魔になるといった理由からだそうです。ナースキャップの一番の役割は、看護師の象徴だったそうです。
しかし、時代が進んで、考え方が変わった。メリットが減り、デメリットの方が目立つようになった。看護師だから、昔からそうしてきたから、私たちもそうしてきたから。この流れのなかで、少し立ち止まり「何のために?」と考えた人々がいた。大学の授業で、ナースキャップの話を聞いた私は、この“立ち止まった人たち”を想像して、その勇気に一人で感動したのでした。
ルールというものは、それを守るメリットの上に成り立つもの。メリットがなければそれはルールではなく、ただの意地悪です。ルールにメリットを求めるのは、当たり前の行動。とはいえ、それはとても難しい。流れに乗ったほうが安全だからです。
だけど、“今”ならどうか。社会が変わり始めた“今”ならば。コロナウイルスは、社会のルールについて立ち止まらせるきっかけになりました。タイツを穿いてきたあの子のように、あるいはナースキャップを変えた先人たちのように私も、今こそ“立ち止まる勇気”を持ち続けたいと思っています。