突然だが、この世の中に「両親の恋バナを聞きたい」と思う人はどれくらいいるのだろうか。「親のそんな話、生々しくて聞きたくない」という人にも出会ったことがあるが、私は聞きたい派もとい既に色々聞いている派である。

というのも、幼少期のフォトアルバムを見るのが大好きな私。私が幼い頃の写真ということは、当然両親も若いわけで。「父さんと母さんも若いねー」というような会話から、自然と両親の昔話に発展することが多いのだ。

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両親の昔話を聞いてきた中で、当然話題にあがったことがあるのが「結婚」について。
私の両親は、デキ婚…いや、最近の風潮では授かり婚というべきなのだろうか。私の姉の命を授かったことが結婚の決め手となったらしい。
妊娠したことを知った母親が父親に伝えたところ、父親がすぐに「お互いの両親のところへ挨拶に行こう」と即決し、当然のように結婚が決まったんだとか。

この話を初めて聞いた時には、「へえ、うちん家デキ婚なんだ」くらいの軽い気持ちだった。しかし社会人となり、親元から離れて自分でお金を稼ぐようになった今なら分かる。
自分1人が過ごしていくためのお金を稼ぐのだって大変なのに、子供を産んで育てるなんて決して簡単なことではない。ましてやデキ婚という想定外の出来事だったのならばなおさらだ。

そんな状況で、授かった命と向き合い、きちんと結婚して子供を育てていくことを決めた両親。もし、同じ状況になった時、果たして自分はその決断ができるのだろうか。もちろん、どんな形であれ授かった命を大事にしたいという気持ちはあるが、それはそれとして両親のように即決できる自信はない。
当たり前のようだけど決して簡単ではない、両親が下した決断。そこに、父親と母親の間の深い信頼関係や愛情、そして授かった命に対する正しい責任感が表れているようで、なんだか両親を誇らしく感じるのだ。

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世間では、「デキ婚」というだけで、無責任だとか、子供が可哀想だとか、ろくな親にならないだとか、ネガティブな意見をよく目にする。芸能人の結婚発表でも、すでに妊娠しているのか、デキ婚だったのかに注目している人が結構多くいるように感じる。
考えなしに妊娠して堕胎してしまったり、育児放棄してしまったり、そう言われて然るべき人も中にはいるかもしれない。

それでも私は、デキ婚によって結婚した両親と、その結果生まれた私たちきょうだいを可哀想だと思うことなんてない。だって、たとえデキ婚だったとしても、私たちきょうだいを両親が見捨てることなんて一切なかったから。たとえデキ婚だったとしても、私たちきょうだいはいつも愛されていたと自信をもって言えるから。
ちゃんと愛情をもって育ててもらった身としては、デキ婚とか授かり婚とかつくづくどうでもいいことなのだ。

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そんな両親も、昨年に銀婚式を迎えた。
きょうだいでサプライズのお祝いをした時の、両親の嬉しそうな顔が忘れられない。
この25年が、両親にとって幸せな月日となってくれていれば、私も嬉しい。
若さゆえのお遊びとか恋愛失敗談なんかとして昇華することなく、恋愛、結婚、妊娠、さらにその先の子育てにまできちんと向き合ってくれた両親には、本当に感謝しかない。

改めて、お父さん、お母さん。
私たちをこんなに大きな愛で育ててくれてありがとう。