私はあと1年で大学を卒業することになるだろう。卒業後の進路の選択肢の1つに大学院進学がある。2年前から説明会やガイダンスに参加し、大学院ごとの特色もリサーチ済み。各種資料が手元にあり、過去のものだが願書のフォーマットももちろん手元にある。私はこの2年間、手元にあるそのフォーマットにどんなことを記載するか悩み続けてきた。

A4サイズ2枚からなる願書。1枚目が志望理由書と呼ばれるもの。2枚目が研究計画書と呼ばれるものだった。私は、経歴、志望理由、研究の計画……と埋められるところは、全部埋めた。考える時間が2年もあったのだ。埋められて当たり前だろう。しかし、志望理由書のたった5行がいつまでたっても埋まらない。埋められないのだった。

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私がどうしても書けない、書き出すことすらできない項目が、キャリアプランの欄だった。たった5行でいい。研究計画のようにA4サイズの上から下まで、表から裏まで埋める必要はない。たったの5行を埋めるだけ。それだけのことなのに、まったく筆が進まない。大学院前期課程はたった2年。たった2年先の私を想像して書くだけだ。そう思っても、まったくピンとこない。将来の自分がどうしたいのかも、どうなりそうなのかも、自分のことなのに自分で想像できなかった。

私が将来のビジョンをうまく描けないのには理由がある。私は今、大学5年目の23歳。持病の問題や収入的な問題もあり、4年間で大学を卒業できなかった。私が大学を卒業できるのは、24歳の予定だ。そこから大学院に入学し、留年することなく修了できてもそのころには26歳。学生ながらにアラサーの仲間入りだ。

アラサーの自分を私はまだ想像できない。4年間で大学を卒業した同い年の人は、社会人4年目になっているかもしれないし、妊娠出産を経験しお母さんになっているかもしれない。そんな中、私はさらに3年間を費やし大学院で後期課程を受けるのだろうか。それとも、新卒社員を目指すのだろうか。はたまた、妊娠出産を経験することになるのだろうか。私にはまだわからない。

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もし仮に、後期課程に進むとしたら、さらに3年後の未来を想像することになる。後期課程を留年することなく修了すると、私はその時29歳。三十路手前の新卒ということになる。アラサーという言葉よりも、三十路という言葉の方がなぜだかグッと重くのしかかる気がした。

前期課程修了後、就職を選ぶとしたら、私はどんな職種を選ぶのだろう。研究がしたくて進む大学院。研究を終えた後、私は何をするのだろう。一般企業に就職する私を想像しようとして、私は気づいた。やっぱり目指すなら研究職がいいなぁと。ならば、前期課程修了後は後期課程に進むしかないのではないかと結論が見えてきた。だが、三十路手前まで学生という言葉がどうにも心の中でつっかえていた。

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今の結論に従い、三十路手前の新卒の道を選んだとする。働き始めて、妊娠出産を考えられる頃には、私は高齢出産と呼ばれる歳になっているだろう。高齢出産になると、染色体異常などのリスクが高まる傾向にある。リスクを分かったうえで妊娠出産を選ぶのは親のエゴではないかと思う自分がいる。今のところ、妊娠出産の予定はないが、実際に出産のリミットが迫ってくると気が変わるかもしれない。アラサーの自分すら想像できない私には、三十路の自分の価値観なんてまったく想像できなかった。

願書提出まであと半年。それまでに、私はこの空白の5行を埋めなくてはならない。色々な葛藤を抱きながらも、1つの答えを出さなくてはいけない。私は残りの半年をかけて、自分の気持ちと折り合いをつけ、この5行を埋めていこうと思う。三十路手前の私を想像しながら、1文字1文字埋めていく。