私の人生通算4度の卒業時の写真を開き、当時の気持ちを連想する。
「幼稚園の卒園式は『もうすぐピカピカのランドセルを背負えるんだ!』」
「小学校の卒業式は『憧れの中高一貫校に合格できてワクワクする!』」
「高校の卒業式は『いよいよ春から一人暮らしができるんだ!』」
「大学の卒業式は『第一志望の会社で4月から働くことができるんだ!』」

普通ならば、不安や寂しい気持ちになるように思うのだが、そんなことこれっぽっちも頭になかった。特に小学校の卒業式。中学受験をした私は、皆とは別の中学に通うことが決まっていた。にも関わらず、涙する友人の隣に写る私は、晴れやかな笑顔だった。
そんな私にも唯一号泣した卒業式がある。それは中学生の頃に経験した、「大好きだった先輩の卒業式」。

私が好きになったのは「バスケ部のT先輩」

中学生になると、初めて経験する「先輩と後輩」。先輩は後輩に厳しくするものと考えていた私は、少し不安だった。しかし先輩は私たち後輩を妹弟のように可愛がってくれ、私たちも兄姉のように慕っていた。

いつの日からか、「先輩」というだけでかっこよくて、クラスの女子全員が様々な先輩の虜になった。「野球部のエースの〇〇先輩」「サッカー部のキャプテンの〇〇先輩」…。友人と先輩の名前を出し合い、時には勇気を出して先輩の教室の前に行って覗いてみて、キャーキャー騒ぐこともあった。そんな中、私が好きになったのは「バスケ部のT先輩」だった。

「私にしかT先輩の良さがわからないのでは?」

T先輩と私は、学校の委員会が一緒で仲良くなった。最初は何とも思っていなかったが、顔を合わせるたびに優しく声をかけてくれる先輩に、いつしか心を奪われていた。
友人にT先輩のことが好きと伝えると決まって返ってくる言葉は「は?あの先輩のどこがいいの(笑)」だった。今思えば顔はジャガイモっぽいし、バスケ部の控え選手、私物はすべて紫というよくわからないセンスの持ち主で、友人が言っていることが正しい。だが、「恋は盲目」というだけあって、当時の私には何も響かなかった。むしろ「私にしかT先輩の良さがわからないのでは?」と超ポジティブに考えていたのである。

周囲が「先輩」というものに憧れるブームが過ぎ、クラスメイトや他校の同級生と付き合う中、私はずっとT先輩が好きだった。T先輩が新垣結衣ちゃんを好きだとの情報を聞きつけ、当時のガッキーの髪型・前髪パッツンのストレートロングにしてみたり、ビジュアル系バンドが好きとの情報を聞きつけ、バラードばかり聴いていた私のウォークマンにビジュアル系バンドが追加されたりと、先輩の好みに左右されていた。今思い出しても馬鹿馬鹿しい。

私にとって先輩の卒業は青春の終わりを意味しているのだ

幸せな時間はあっという間。私が恐れていた「その日」はやってきた。笑顔で送り出すことを決めていたのに、溢れ出る思い出の数々が涙になった。卒業生が退場する際、泣いている姿を見せたくないと思って隠れていたのに、笑顔のT先輩が私の方へ向かってきた。それでも私の涙は止まらなかった。

先輩の卒業式を終えてからしばらく経っても、ぽっかり空いた心の穴は埋まらなかった。そして気づいてしまった。「中学時代をT先輩に注いできた私にとって先輩の卒業は青春の終わりを意味しているのだ」と。

T先輩に注いでいた学生生活をガラリと変えた

このままではダメだと思った私は、青春をT先輩だけで終わらせないと心に決め、T先輩からの卒業を決意した。もちろん、大切な思い出をすべて忘れたわけではない。T先輩に注いでいた学生生活をガラリと変え、部活動や新たな恋愛に打ち込んだ。部活動では県代表として全国大会に出場したり、他校の気になると男の子と朝から晩まで毎日メールのやりとりをしたり、少しずつ先輩のいない青春の思い出が出来上がっていった。社会人になった今、あの頃の自分の行動力や挑戦力を振り返ると脱帽する。成功や失敗を繰り返した青春こそ、私の今を形成している原点だ。

私にとっての卒業は、笑顔も涙もどちらも兼ね備えているものである。しかし「希望」であることに違いはない。あの頃の自分に恥じないよう、希望で満ち溢れた人生を送っていきたい。