長く耐え続け、細く繋いだ糸が、ぷつんと切れる音が聞こえた。

社会人3年目を迎えた春、私は抑うつ神経症になり、2か月ほど会社を休職することになった。まさか自分がそんなことになるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

「できないこと」ばかりを見つけにいって…

初めて異変を感じたのは、社会人2年目になった春ごろ。
休みに友人や恋人と出かけても、全然楽しくなくて、いきなり涙が溢れたりするようになった。突然悲しくなったりして、その気持ちを抑えることができない。このときからすでに、私は私自身に、「限界だよ」と伝えていたようだ。

営業職に配属されて早1年。自分に課せられる数字はそれなりに達成できていたけれど、毎日仕事が終わっても仕事のことを考えるのが当たり前になっていた。

学生の頃から完璧主義で、まわりからは「まじめすぎる」とよく言われていた。もっと要領よくやりたいと思いつつ、なんだかうまくできない。
「手を抜くところは抜く」ができなくて、何でも全力でやろうとしてしまう。結果、いつの間にかキャパシティオーバーになって……ということがしばしばあったのは自覚している。

負けず嫌いで、周りともよく比べて自分を責めた。同じ配属先の同期は、先輩からも好かれて仕事もしっかりこなせているのに、私は常にできないことばかりを見つけにいって、それが習慣化してしまっていた。

「自分はまだ大丈夫」思い続けたけど

夏がすぎ、環境は変わらないが、なんとなく安定した日々を過ごせていた。後輩が入り、教えることがもともと好きだったので、やりがいを感じ始めていたからかもしれない。
そんなときだった。仕事中に、嘔吐くようになった。そこから休職までの数か月、身体の異変がエスカレートしていった。

生活している中で突然何をしたらいいのか分からなくなって、しばらくうずくまってしまう。においや音に敏感になって、人がたくさんいる場所に出向けない。
電車に乗っていると閉じ込められている気がして、呼吸が荒くなり、途中下車して少し休まないと、数駅先にもたどり着けなくなっていった。

もう、限界かも。

自分はまだ大丈夫、こんなことで弱音吐いちゃだめだ、なんでこんなこともできないんだ、なんて、自分を責め続けていた。

勇気を出して精神科で診察してもらうと、「抑うつ神経症ですね」と先生に伝えられた。
ずっとずっと、自分のサインを無視して走り続けた結果、ここまで自分を苦しめてしまったんだと気づいた。

「限界、助けて」って言ってもいい

休んでいいんだ、立ち止まっていいんだ、と分かり、ずっと緊張状態だった心も身体も一気に緩んだ。

『限界、助けて』って言ってもいい。それは甘えでもなんでもなく、ありのままの私を、初めて受け入れることができた瞬間。

休職の期間は、とにかく自分の好きなことをした。何もしなくてもいいし、音楽を聞いたり、本を読んだり、自由に。通院しながら、自分の気の向くままに過ごし、次第に外に出る時間も増えていった。

私の限界を、他人が決めることはできない。どんなに大切な人でも、「あなたの限界はあと何%ですよ!」と教えられない。

ほかの人にできることが私もできるとは限らないし、逆もそう。だから、他人のものさしで判断するのはよそう。

今、かつての私と同じように悩んだり、苦しんでいる人が読んでくれているとしたら、自分のサインを見逃さず、ちゃんと向き合ってと伝えたい。少し立ち止まったっていい。

「無理をしたな」と思う日々が続いたら、些細な癒されることでいいから、何も考えずに優しく、その幸せで包み込んであげよう。

心が乱れてきたら、放置しない。無理をせず睡眠や食事など身体に優しいことをしたり、ゆっくりと過ごす。
そんな、私にとっての日常の小さな幸せ、空白を増やして、息の詰まるような気持ちになる前に、蒸発させるようにしている。

私たちは、誰かの人生を生きているわけではない。
自分の心のサインを見逃さず、気づかないふりをせず、向き合ってみてほしい。
あなたの心の声を聞くことができるのは、あなた自身だけなのだから。

ペンネーム:真鳳(Mao)

タイ料理が大好きなOL3年生。最近自炊を始めました。おいしいモノに出会うために旅がしたい