20代も折り返しにさしかかろうとしている。そんな年齢にもなれば、周りはすでに何年間も社会人として生活している。ボーナス、咳込みながら向かう職場、眠くてたまらない昼下がり、急遽頼まれる残業。

わたしは、その世界を経験したことがない。

スーツが嫌で、就活の流れにのらなかった

わたしはリクルートスーツがとにかく窮屈という至極単純明快な理由で一般的な就活のレールにも乗れなかったし、会社に勤める自分も想像できなかった。うまく言えないけれど、みんなと同じ服を着て、長時間満員電車に揺られながら笑顔を貼り付けて模範解答を答えているうちに自分が消えて行ってしまうような気がした。そもそも根拠のよくわからないルールに従うとか、自分らしくいられない場所に存在することとかそういうことをとにかく我慢できない。それはきっと「わがまま」って言葉で形容されるんだろうけど、結局社会の流れにうまく適応できないまま、自分が子どものころ思っていた大人にはなりきれず、こんなに年齢を重ねてしまった。

〆切も目標もどこでいつ仕事をするかも自分次第、の仕事

今のわたしの職場は、言葉を人に届けることがミッションで、自分の仕事さえできれば、その場所は家でも旅行先でもいい。起きる時間も毎日まばらで、服装も基本的には自由。ピアスの数もリップの濃さも自分の好きなように決められる。気分の乗らない日は家ですっぴんのまま仕事してもいいし、朝寝坊も昼寝も誰にも怒られない。それと引き換えに休日と仕事日の境目はほとんどないようなものなので、正月に帰省先の実家で仕事をすることもある。

つまり、仕事の〆切も目標もどこでいつ仕事をするかも自分次第。基本的にはひとり仕事だから、アドバイスしてくれる人はいても、上司に怒られるとか、組織での立ち回りとか、指示系統とかそういうのもよくわからない。
好きな時間に紅茶を淹れてお菓子をつまんでもいいし、必要なときだけ事務所に行って用事があれば帰っていい。思ってもないお世辞も言わなくていいし、なにかに違和感を覚えたら年齢や立場に関わらずだれでもそれを指摘する(もちろんそれは相手を否定することとは違う)。わたしは大学を出てからずっと、それが許されている場所で、大人になりきれない自分と相対し続けている。

周りの世界と自分の世界がずれていく

大学を卒業してから年数が重なるほど、多くの友達が経験している世界と自分がずれていくことに気付く。みんなみたいに無茶ぶりの残業や嫌な上司の愚痴はないかわりに、ボーナスでバッグを新調する贅沢もない。好きなペースで一人仕事をしている自分とチームの中でいろんな立場や年齢の人と締め切りに向けて仕事をしているみんな。ついに今春からは最後の砦だった妹も社会人になり、わたしが寝ている間に出勤して、わたしが夕方のうたた寝から起きたころに帰ってくる。
少しくらい体調が悪くても満員電車に乗って職場に行く姿を寝ぼけまなこで見送りながら、最近は妹の方がすっかり年上みたいに思えることもある。

一方で、毎日決められた時間にどこかに行くことを高校生以来していない自分。自由がきく分、将来の保証もない自分。自分だけ子どもみたいなまま、大人の年齢になっていく。漠然とした不安で心がもやもやする夜もある。

子どものころの想像より、ずっと自分らしく、楽しくて身軽

だけどわたしが妹みたいに生きられるかといえば、きっといまは難しい。想像できない。こんな働き方をいつまで続けられるかは自分でも正直未知数だけれど、少なくとも今、時間や場所にとらわれず、自分の仕事の内容だけで評価され、食べていくことができている。自分が自分を諦めそうになる時に、「きっとできると思う」って自分の希望になるような言葉を伝えてくれて、自分の歩み方を応援してくれる友達や家族がいる。それは子どものころの自分が想像していた大人とは違っているけれど、想像よりずっと自分らしく、楽しくて身軽で偽りのない自分だ。今を大切にしたいと心から思える自分だ。

わたしみたいな生き方が「なんかみんなみたいにできない」と思っている人のひとつの選択肢になりますように。