「これって、君の実話?」

「ノンフィクションなの?」

「その歳で、こんな経験があるの?」

これらは私が歌会でよく言われる言葉トップ3である。

歌会、とは短歌を詠む人達が集まって各々の作品を紹介したり批評をする、いわば歌人達の座談会。部活や大学の文芸サークルなどで開催されることもあれば、本屋さんなどでもたまに開催される。自称''歌人''の私は、ちょいちょいこの歌会というものに参加していた。

実話かどうかは作品の良し悪しに関わるの?

歌会に参加し、自分の短歌を紹介すると決まって高頻度・高確率で上記のような言葉を なげかけられる。何故このような質問をされるのか。私が作った下記の2つの短歌をみれば多分、わかって頂けると思う。

・頬触れる睫毛を感じメリーゴーラウンドに酔う朝が来るまで

・見せないで指輪の跡を自慢げに私にとって貴方って何

色々省略して超簡潔に解説をすると、この2つは「セックス」と「不倫」の短歌である。

歌会に参加する男性は、私の短歌を指差して「これって、君の実話?」と聞いてくる。あたかも芸術的観点からの真っ当な質問ですよ、という顔で聞いてくるが、この質問はお門違いである。

もし「実話です」と言ったなら、相手の脳内にはセックスをしている私が、不倫をしている私が映し出されるのかもしれない。「実話ではありません」というと少しガッカリした表情で「そうだよねぇ、まだ18歳だもんね」と返される。いや、なんだそれ。気持ちわりーよ。無自覚かもしれないけれどその質問は、完全なるセクハラだよ。

実話なのかどうかが、作品の良し悪しに関わるだなんて嫌だった。ニマニマしたおじさんに絡まれるのは嫌だった。強い言葉で抗議出来ない、気弱な自分が嫌だった。要注意人物がいる歌会には、意識的に参加しないようになった。

私の紡いだ言葉たちが、私の手から離れた場所で活用されるのは嬉しい

私は短歌のほかに、エッセイや小説も書くが、そのほとんどは「性愛」についてのものだ。それは私のトラウマやコンプレックス、アイデンティティーが「性愛」と深く結びついているからである。

私の紡いだ言葉たちが、私の手から離れた場所で活用されるのは構わない。読み手のノンフィクションな日常を、私の作品に投影して、泣いたり笑ったりムラムラしたりしてもらえるのは、とても嬉しい。それを発信したりしてくれると、もっと嬉しい。読み手の共感や共鳴によって、自分自身を少し愛せるようになるから。

もちろん、わかっている。「18歳の女子高校生が、実体験を元にした(らしい)アダルティな短歌を詠んでいる」という希少価値を。「これって、君の実話?」と聞いてくる気持ちの悪い男性が、私の作品を世に広めてくれる人かもしれないという可能性を。気持ちが悪かろうが、一読者だという事実を、全部わかっている。わかっているからこそ、悔しいのである。

実話かどうかがどうでも良くなるくらい、素晴らしい作品を作りたい

フィクションかノンフィクションかなんて聞くのがどうでも良くなるくらい、素晴らしい作品が作れたなら。セクハラ発言がかき消されるくらい、魅力的な文章が書けたなら。同じような被害に遭う他の参加者をも、強くまもれるようになれたなら。

私はまた歌会に参戦しようと思う。これは私の、歌人としての戦いである。