大学三年生のときのことだ。ヘアサロンで、「今日はどうしますか?」と尋ねられたので、私は言った。
「結ばなくてもいいくらい短く。バッサリいっちゃってください」

美容師さんは「ずいぶん思い切ったね~」と言った。そのとき私の髪は、背中の真ん中くらいまであったからだ。「結ばなくてもいいくらい」になるには、二、三十センチは切ることになる。実は、こんなに短くするのは初めてだった。それまで、肩上より短い髪型にしたことがなかったのだ。

海外で事件や事故よりも不安に思っていたもの

「イメチェンですか?」と美容師さんに聞かれたが、そうではなかった。
「来月から海外に行くんですけど、髪が長いと邪魔になるかなって思って……」

そう、私は当時、渡航を控えていた。向かう先はフィリピン、それも四カ月間の滞在だった。フィリピンは、費用を抑えて英語を学べる国で、私も英語を学びに行くのだった。
 
私が話すと美容師さんは感心した風にうなずいたものの、こう言った。
「でも、結構長く滞在するし……、勇気いりませんか?」

ごもっともだ。正直なことを言えば、不安だらけだった。

なにしろ、私にとって海外へ行くのはこれで二度目。しかも習いに行くくらいだから、英語はろくにしゃべれない。おまけに心配性で、空港で荷物をなくすロスト・バゲッジに遭ったらどうしようとか、街でスリに遭ったら嫌だなあとか、考えてもキリがないことを延々と考えては自ら不安をあおっていた。

さらに私には、事件や事故よりも不安に思っていることがあった。自分のコミュニケーション能力の低さである。当時の私は人間関係を築くのがとても苦手だった。そのせいで、ふざけて言ったつもりが怒っていると勘違いされてしまうことがあったし、気持ちをうまく伝えられずに、「結局、何が言いたいわけ?」と友だちにキレられたこともあった。

「いいね、自分探しだね」と言われたけれど

 そんな私が、異国の地に行くことを決めたのだ。留学先の寮はルームシェアが基本だし、ご飯もみんな同じ食堂で食べる。授業では対話クラスの受講が必須で、座学の授業もいろんな国や地域の生徒とともに黒板に向かわなければならない。まさに苦手、苦手のオンパレード。通常であれば避けたい状況ばかりなのに、私はあえて、そんな環境下に自分を置くことにした。
 なぜそんなことをしたのか? 当時、私が海外に行くと話すと、「いいね、自分探しだね」と言う人がいた。そのときは、「自分探し」という言葉がよく聞かれたのだ。今いる場所に飽き足らず、新天地に活躍の場を見出したり、新たな環境の中で自分を再発見したりすることがはやっていた。だから若者が海外へ行くと言うと、条件反射的に「自分探しだね」と言われたのだ。
 だが、私は自分を探しに渡航を決めたのではなかった。
 自分を信じるために海外へ行ったのだ。

私は今でも臆病なまま、自分を卑下していたかもしれない

 それまで、私はあらゆるものを必要以上に恐れていた。見知らぬ土地も、物事の変化も、過敏なほどに嫌っていた。けれど、そのせいで自分の可能性を潰してしまうことが多かった。たとえ飛躍できる力があっても、地続きの道しか選んでこなかったからだ。
 
  けれどこれ以上、むやみに怯えることはしたくなかった。自分の想定する「安全」に縛られたくはなかったのだ。私は私を、鮮やかな方法で裏切ってみせたいと思った。そして、「今のままでも十分やっていけるよ! 大丈夫!」と自分自身を励ましてあげたかった。
 その第一歩として、私は髪を短く切ったのだ。

 実は、髪を切った帰り道、肩の上で揺れる毛先に、「とうとう切っちゃったんだ」と不安になった。手櫛でとかすと頼りないほど短かった。「大丈夫なのかな」、立ち止まりたくなった。だけど、前へ進んだ。前にしか道は拓けていなかった。

 今、私は社会人をしているが、あのとき海外に出てよかったと思う。苦労はしたけれど、あの挑戦がなかったら、私は今でも臆病なまま、自分を卑下していたかもしれない。「大丈夫。私ならできる!」、そう自分を信じるきっかけをくれたあの日々に、私は感謝している。