私は見た目からして人と違う。アルビノという遺伝疾患によるものだ。色素がないまたは薄く生まれるため、髪の毛をはじめとした体毛は薄く、目の色も薄い。弱視を伴う人も多く、私も視力が低い。そして、私は特に弱視に悩まされてきた。今回はそんなコンプレックスと周りへの対応について考えたい。

私と同じくアルビノの神原由佳さんは小学校時代に下級生に「どうして白いの」と聞かれて「生まれつきだよ」と答えてそのまま保健室に走って泣いたというエピソード がある。
このエピソードは神原さんのなかで大きな分岐点になっているようで、様々な記事でこのエピソードを読むことができる。それくらい、重要なことだったのだろう。

質問を選別してもなお、疲れて

私にも似たようなことはあった。いつも本を読んでいて話しかけづらかったであろう当時の私に、「どうして金髪なの」と聞いてきたあの子。「優ちゃんは眼鏡をかけても目が悪いの何で」と聞いてきたあの子。上級生だからと下級生の前に立ったら「外国人だ」と囃し立てられたこと。
最後の一つには勿論キレた。舌打ちして睨みつけた。先生が間に入って、「外国人だ」と言った子を謝らせても許さなかった。謝ったから許してもらえるなんて大間違いだ。下級生に対する態度としてよろしくない? 先に私を傷つけたのは向こうだ。許したくないものは許さなくていい。
しかし、神原さんのエピソードや私のエピソードの最初の2つは好奇心だったり私のことを知りたいという気持ちだったり、そう悪くないものから発された質問だ。初対面だから知りたい、友達だから知りたい、これから関わっていくから知りたい、これから関わっていくかわからないけど知りたい。色々あると思う。
最初はそれらすべてに丁寧に答えなければいけないのだと思っていた。知ってもらわなければ後々自分が困るだろうと考えて、丁寧な説明を心がけた。でも、だんだん面倒になっていった。何故だろう。わからないけどひどく面倒くさかった。

やがて私は、降ってきた質問に対して選別をするようになった。悪意のあるもの、ないもの。私と今後どれくらいの深度で関わっていこうと思っているのか。私はその人と今後どういう関係を築きたいのか。
悪意のあるものは論外だから無視するとして、私としっかり関係を築きたいと思っているであろう人や、私がこれから関係を築きたい人には、真摯に対応した。
でも、それでも説明に疲れてきてしまった。何で私が、説明しなくちゃいけないんだろう。説明しないとわかってもらえないからだ、わかってもらえないと私が後々困るからだ。そんなことはわかりきっていたけど、この疲労と面倒くささも誤魔化しようがなかった。

皆へ誠実になんていられない

ある時ふと思った。何故マイノリティの側に"説明の義務"が生じるのだろう。説明しなければ困る場があることもわかっているが、そうでなくても説明を求められることがある。それがひどく面倒くさいのだ。
勿論、アルビノのことを知ってもらいたいと思って書いているのでライターとして書くときは丁寧に説明するよう心がける。でも、ずっと、誰に対しても、プライベートでもそうしなくてはいけないのか。それは違う。
相手を見て、関係性を考えて、自分の気持ちに正直に適当な言葉で誤魔化したっていい。アルビノの私は、皆に誠実である義務なんか負っていない。
職場の人にはわかってもらう必要がある。でも、一晩飲んだらお別れの人や私と関係性を築く気のない人にまで真摯に丁寧に説明する必要はない。面倒がったっていいのだ。