3月の最後の週の仕事が好きである。私はこの職場で働くこと5年目になる。
毎年同業60名の3分の1近くが入れ替わる、出入りの激しい職場である。
年末年始にかけて、異動が決定する。11月頃からぽつりぽつりと「次は何処そこになった」という話が聞こえはじめ、異動になることがある程度決まっていたひとにも「次は何処そこかあ、意外だけれど案外上手くやりそうだな」「あそこにいる何々先生とは相性最悪だ、幸運を祈る」「やはりいなくなってしまうのか、代わりは誰が来るんだろう」など感想は次々と湧いてくる。彼等との思い出は時にドラマティックな日常の1コマであり、心温まるチームワークであり、仕事で出逢った友だちとしての時間である。
戦禍に灼け落ちる哀しき桜吹雪
半年の任期でも強烈な印象だったひとは今でも忘れ難いし、そうでないひとでも私は同僚全員を記憶している。長く共に勤めてきた戦友のようなひととの別れはことさらに哀しい。それが一時でも恋人だった相手なら尚の事。
1年目の最終週は短期出張中であった。その時の仕事場のことを私は大切に記憶している。その病院は当時すでに"泥舟"であった。過去には輝かしい功績を誇る「外科の登竜門」とまで言われた病院だったが、ディカプリオの映画の豪華客船のように音を立てて沈みゆく、その轟音が半分閉鎖された暗い廊下の奥から響いてくるかのようであった。
そこのスタッフ達は感動するほど、よく訓練されていた。私が知る最高のオペ室だった。最後の日にはその春異動する8人(20人中の8人。代わりの補充無し)とともに病院を去りながら、戦禍に灼け落ちる国を見棄てるような気持ちになった。親しくしてくれたスタッフ達に贈られたマグカップは、日々大量に淹れるコーヒーのせいで今やデスクの上ですっかり色が変わってしまっている。
ひとつ、ひとつデスクが空いてゆく。裏口から去る彼等に手を振った
2年目のその週は、特に覚えている。思っていたとおりではあったが、その年の送別会以降2度と会えなくなった仲間たちを想うと哀しい。元気でやっている彼等を想像して歩を進めるほかない。
3月の3週目からは引越のため年休を取得するひとも多く、不在のデスクが増える。3月後半の夜勤は残留者でシフトをまわす。最初に去るのは長距離異動のひと。置いていく物が多いという彼女にあまえ、あれもこれもとサイン付きで形見をねだった。
ひとつ、ひとつデスクが空いてゆく。私たちはそのたびに、裏口から去る彼等を手を振って見送った。今日も明日も続く1日の仕事を終え、彼等が最後の荷物をまとめて挨拶をし終えるのを待って。
好きだったひとが去っていった3年目の3月。哀しみに目を背けた
3年目の3月にも、好きだったひとが去っていった。哀しかったけれど、その季節以外で訪れる別れよりも悲しくない気がするのは何故だろうか。今思い返しても優しいひとで、そして寡黙なひとだった。私は時には去る人の方が、残される人よりも哀しい気持ちになることを知っていた。
私は、31日の夜になっても煌々とライトの点いた彼のデスクと彼の哀しみに背を向けた。
4年目の終わり、3月30日の夜は静かだ。私は余白だらけの医局に座り急患を待ち受ける。スタッフの4月からの仕事への不安と不満を聞いてやる。去ったひとたちの気配はまだそのままだ。失いたくない思い出をもう一度反芻する。明後日になれば、それまでの日々を思い返す余裕が戻るのはずっと先になるだろうから。4月のシフト表には、まだ見ぬ知らない誰かの名前が入っている。異動になったひとたちにはもう、そうそう会えない。再会は出来るかもしれないが、朝、仕事に来るとそのひとに会えるのが当たり前だった日々はもうない。まだ何かごそごそとやっているさいごの1人を横目に、私は救急外来へ向かう廊下を急ぐ。