NOって、言いたくない。
だって、NOと言うと、場がしらけるし。空気が読めない子だと思われるし。個人的な話をしてしまえば、理系の学科にいて、男女比が50:1くらいのところに所属している私にとって「NO」と声をあげることは、明日からの学生生活に関わる死活問題なのだ。
理系を選んだばっかりに、居場所が小さな机ひとつ分しかない
女子だらけの温室でぬくぬくと暮らしていた私は、理系の学科を選択したばっかりに、突然大学で男子校みたいな空間にぶち込まれた。教室は、あせとたばこの匂いと、昨晩口説いた女の子の下世話な話でいつも充満している。本当は好きなAV女優の話でも大っぴらにしたいだろうに、居心地が悪そうにこそこそとバイアグラの売買をしている同級生をみるたびに、なんとなく申し訳ない気持ちになる。
かと言って、授業を休むわけにもいかないので、私はいつも教室の端に座って、なるべく存在感を出さないように気を付けている。なのに、出欠の名前を呼ばれる前に「あ、今日もいるね」と先生は大袈裟に毎回確認しやがるのだ。そういうちょっとしたことが、すごくほんのちょっとしたことなんだけど、なんか嫌。理系を選んだばっかりに、居場所が小さな机ひとつ分しかないことを、毎回見せつけられているような気分になる。
あっちにいけばクソフェミで、こっちにいけば名誉男性
で、そんなところに数年いると、男性が持つ女性への欲求もだいぶ耳に入ってくるようになる。「俺たちは女なんて顔しか見てない」とか、「数人とセックスした女はヤリマンになる」とか、そんなことだ。そういったことを同級生の男の子たちは、たまに私にぶつけてきて、同意を求めようとする。
こういう時、本当は怒ったりすればいいんだろうけど、考えれば考えるほど、否定することができなくなってくる。だって、私だって、かっこいい男の子には素直に「かっこいいな」と思うし、たくさんの女の子と無作為的にセックスする男の子はどことなく信用できない。
こうやって、話を自分の立場で置き換えているうちに、だんだん男の子たちの言い分が分からなくもないような気がしてくる。
一方で、こういう言葉たちに対して、ヘラヘラと「そうだね」と調子を合わせている自分がどうしても好きになれない。好きになれないけど、波風たてるのも面倒だし、なによりSNSを中毒的に使っている同級生に「クソフェミ」なんてあだ名をつけられたくない。こういうの「名誉男性」とかって言うんだっけ。あっちにいけばクソフェミで、こっちにいけば名誉男性。私の居場所が、どんどん削られていく。その中で私は、どうやって私を保てばいいんだろう。
NOと言わないことが、どうにか生きていくための術なのだ
今、私は、NOと言うことよりも、51人のうちの1人として穏便に生きることを選んでいる。この選択が正しいのかどうか、わからない。いや、多分、間違ってる。でも、私がどう間違っていて、どう修正すれば平和に生きられるかなんて誰も教えてもくれないし、道を示してもくれない。
だから、現段階では、NOと言わないことが、ちっぽけな世界をどうにか生きていくための術なのだ。そして、この術を誰かに伝えようと私は躍起になっている。それが、NOと言わないことを変えたいと思っている私の意思表示につながるような気がしているからだ。いつか私や私のような誰かが、NOと言えるようにするために。