「表紙の人、優ちゃんみたいだね」
高校の図書室で借りた、「アルビノを生きる」を教室で読んでいたらクラスメイトで友人のとある女の子にそう言われた。表紙は真っ白い髪の男の子が二人。私みたいな人。
たしかに私はこの本に出てくる人達と同じくアルビノだけれど、一緒にしていいのかな。私はここに書かれている人達とは違う。例えば視力、それから髪の色の濃さ。この人達と変わらない苦労をしていると言っていいのだろうか。
そんな思いがあった。

そしてその子は言った。
「きれいだね」と。
その子はアルビノが生物の授業で出てきたときも、ヒトのアルビノである私のことを気にかけてくれた、いい子だった。表紙の男の子達はかわいいけれど、彼女の言うように私と彼らを一緒にしていいものだろうか。そんな思いが拭いきれなかった。
それでも、アルビノをきれいだね、とただそれだけを言ってもらえたことは嬉しかった。近くにいる人にきれいだなと眺められているのは嬉しいことだった。
それが、私と「アルビノを生きる」との出会いであり、思い出だ。

もう一度「アルビノを生きる」を開いて

私は、あのとき、「アルビノを生きる」を買っておかなかったことをとても後悔している。「アルビノを生きる」は現在本屋では売っていない。取り寄せようにも、もう刷っていないらしかった。このレビューは、近所の図書館で何とか見つけて書いているのだ。多分近所の図書館にリクエストしたのも、高校生の私だと思うけれど。高校生の私はどうしても、「アルビノの本」を読みたかったから。

当時、どうして買わなかったのだろう。それを考えると、もしかして、と親のことに行き当たった。今は平気だけど、親の前でアルビノの本を読むのが怖かったんじゃないか、と。

「アルビノを生きる」はアルビノの見た目や、アルビノの人に多い視覚障害にも言及している良書だと私は思う。それでも、今読み返してみると、非常に読むのがつらかった。

就職活動で感じた「アルビノを生きる」ということ

「目が悪いのならふつうの就職は無理ですね。障碍者枠で仕事を探してください」

川名紀美『アルビノを生きる』120ページ

本に登場するアルビノの人が、大学の就職課の人にかけられた言葉だ。高校生の頃は、あまり気に留めなかったが、今読むと、現実としてぐっと迫ってくる。私の対応をしてくれた大学のキャリアセンターの人はこんなことは言わなかったし、親身になってくれはしたが、そのアドバイスは残念ながら有効ではなかった。それに、アルビノのである私の就職活動には厳しい現実があった。見た目を問題にする会社は論外だとして、この見た目のまま就活をしたが、思うように結果は出なかった。原因は、既卒であることに加えて、視力の問題だ。はっきりとそう口にする会社さえあった。「アルビノを生きる」の発行は2013年だが、アルビノを取り巻く現実は残念ながらあまり変わっていないと思う。

障害者手帳は持っていないが

冒頭に書いたような、「アルビノを生きる」に出てくる人と自分を一緒にしていいのかな、という思いの根源を探っていくと、そこには視覚障害者手帳を持っていないなど、比較的軽症の自分を、本に出てくる人々と一緒ということにしていいのかという不安だった。手帳は持っていないし、症状も比較的軽い。それでもふつうじゃない。どちらにもなりきれない、狭間の孤独がそこにはあった。

アルビノの現実を発信し、少しでも現実をよいものに変えていきたいと書くようになってもうすぐ1年が経つ。そんな時にこの本をもう一度読み、私はアルビノのことを書き続けようと決意を新たにした。苦しいだけじゃない。つらいだけじゃない。でも楽しいだけでもない。そんな現実を伝えていこう。