自分のコンプレックスについて考えれば考えるほど、今なんのために存在しているかを探す過程で私はきっと病んでしまうだろう。それでもやっぱり、私は自分のコンプレックスにプラスの意味を見出してしまう。

コンプレックスというものは、おそらく人間であれば誰しもが持っているものなのではないか。そう思うのは、一見するといつも自信に溢れていてキラキラして見える先輩だって、私の悩み相談に真摯に向き合ってくれた学校の先生だって、仲良くなって、一緒にいる時間が増えれば増えるほど、「あぁ、この人にもこんな悩みがあるんだ」と、私は今までに何回も気づかされてきたからだ。

友達の言葉に救われた

高校生の時、仲良くしていた友達から、彼女がバイセクシャルであると告白された。世間知らずの私は、その時初めてLGBTというものを知った。彼女の話を聞いているうちに自分の性についても考えるようになった。

彼女は自分がバイセクシャルであることは彼女のコンプレックスであるとも言った。「セクシャリティーにコンプレックスを感じるなんてちょっとおかしいよね」と彼女は自分を嘲笑った。けれど、その直後に彼女が私に言った言葉に、私はなんだか救われたような気がした。

「でもね、こんな風に悩んでいるのは私だけじゃないのかなって思うんだ。だって、LGBTって言葉があるくらいだから。自分の悩みを思い切って打ち明けることは、『自分だけかもしれない』って思っている誰かの心を軽くすることができるんだなーって思ったの。同じ悩みを抱えているからこそ、痛みを分かち合えるし、共感できる。共感するって、こんなに短い言葉だけど、人を安心させるし、孤独から抜け出せるきっかけになるんだよね」

「共感」誰かの孤独に寄り添えるかもしれない

彼女の優しく、強い心が彼女のコンプレックスを強みに変えていた。

悩みやコンプレックスを、「共感する」ことで、誰かの孤独に寄り添えるのかもしれない。

だけど、自分ひとりで抱えているだけでは、助言や共感をしてくれる相手にも気づけないままになってしまう。だから私は、たとえ小さな悩みであっても、下は向かないと決めている。

ペンネーム:川底の石

まだまだ夢を探している最中の大学生。趣味は歌とギター。得意科目は英語。苦手なことは自己紹介。自分という人間がいまいち掴みきれてない人間です。小さな頃から家族との関係性に悩むことが多く、私自身はまだ自分のコンプレックスや悩みに向き合いきれていないのかもしれないなぁ、なんて思っています。