誰しも知っているような歌詞・誰でも歌えるような曲を選ぶ。
店内に音楽が流れて数秒後、全てのテーブルがざわついて視線がわたしに集中する。
なるべく気持ちを込めて、集中して。
それでも下手くそなものは下手くそだった。
視界の隅から見知らぬ紳士がガンバレー!と応援してくれる。
キャストの子がカワイイ~と手拍子し、ボーイさんは苦笑いしながらおしぼりを持ってくる。
キャバクラで働いていた頃、カラオケだけが本当にプレッシャーだった。歌うのはもちろん、お客様に合わせて手拍子をするにも緊張が絶えず、さっきまでタンタンタンだったのにどうして急にタタンなの?!と、他の女の子を手拍子の様子を見て困惑したりしていた。
「こんなに音痴な人初めて見た」
わたしの歌を聴いたお客様は漏れなくそう仰った。音感も無ければリズム感も皆無で、もはや朗読だと言われていたし、ayuを歌って採点機能で78点だった際には「この機械壊れてるでしょ」と真顔でボーイに尋ねられた。
だけど、歌うのが嫌いなわけではなくて、どちらかと言えば好きだった。
そもそもわたしは自分が歌下手だと気付いていなかった。友達とカラオケに行って好きな曲を入れたり、家では耳についたCMソングを繰り返したり、学校の合唱コンクールにも気後れしていなかった。が、ある日、友達がとある曲を口ずさんだ時に便乗して一緒に歌ったら「ねえ、歌ってる時に乗っかって来ないで」と言い放たれたのだ。「音がわからなくなる」と。衝撃だった。音痴だと自覚した瞬間だった。そういえばカラオケで80点なんて全然取れない。歌っていても、なんかちょっと違う気がする(そういうものだと思っていた)。
そこからだった。歌うことそれ自体は楽しくても、周囲の反応が気になってしまうようになったのは、その歌は他人にとって”不快かもしれない”という悲しみが生まれたのは。
しかし、わたしが座るのはカラオケ付きキャバクラ。
なんか歌ってヨ、と言われない日はない。
せめて、せめて少しでも、わたしの歌により発生される気まずい空気、それによる自分の悲しみや不安の要素を減らしたくて(お客様より自分の精神のことばかり気にしていてごめんなさい)、「歌って」と頼まれた時には、本当に音痴だよ、と最低でも三回は確認して、それから笑顔で、懸命に歌った。お客様や他の女の子に一緒に歌ってもらったり、これだったらいいんじゃない?と歌いやすそうな曲を提案してもらったり、自分の後に他の女の子にも歌うように促したりもした。
わたしのカラオケは出入り自由
得をしたのは、お客様や女の子とのコミニュケーションが取りやすかった。苦手な部分が来ようものなら周りにマイクを差し出して助けを求めたり、音程があってるか首をかしげて尋ねると、指を上にさしてもっと高く⤴︎と指示してもらったり。音程やリズムがあうと、「合ってる合ってる!!!」と歓喜される。これが結構楽しい。歌ウマさんには味わう事のない感覚ではないだろうか。少なくとも自分の周りでは、歌ウマさんのカラオケは聴き入りたいのもあって一緒に歌うのは遠慮されがちだった。わたしのカラオケは出入り自由というか大乱闘スマッシュブラザーズというか。全曲R.Y.U.S.E.I.かU.S.A.ばりのノリ。
わざと採点機能をつけて、75点行ったら一杯ちょうだい♪なんて言うこともできた。
音痴でリズム感がなくて原曲クラッシャーのわたしが、歌うなと言われたりテーブルから追い出されなかったりしたのは、自分なりのホスピタリティが周りに伝わっていたから、場が盛り下がらないように、嫌々ながらではない姿がどうにか打ち出せていたからだったのかなと思う。
最初は何も考えておらずどんな雰囲気に転ぶか未知数だったから、お客様に歌を披露するのは地獄だった。でも、歌ってしまわない限り、どれほど音痴かなんて伝わらないし、嫌なら二度と私にカラオケは要求しないだろう、百聞は一見に如かず。だったら歌ってしまえ!というやけっぱち精神だった。
数回歌ってみて、どうせならお互い気持ちよく楽しみたいと思うようになった。そうするには仕組みが必要で、このゴリゴリの音痴は普通に歌ってもサービスとして成り立たない場合がほとんど、つまらなさそうにされて気まずくなる可能性大。するとわたしも、だから下手だって言ったのに、歌わない方がよかったじゃん、こんな空気サイアク、と思ってしまう。
ただ、わたしがイヤイヤ歌うことは、その音痴さ以上に、場を不快にさせるだろう。サービスもホスピタリティも最低になるのだから当然だ。外見もキャバ受けするようなタイプではなかったし。
嫌ならやらなくていい、やらずに済む方法を編み出せ、やるしかないなら少しでも楽しめるポイントを見出して自己流を作って行かねば退屈や不満が大きくなるだけだぞ、とわたしは自分に言い聞かせた。
結果、周囲を巻き込むスタンスになった。あくまでわたしは妙な空気になるのが嫌なだけで、歌うのは嫌ではないのだからと。損得も考えた。歌わない道もあったけれど、やらない後悔よりやる後悔というか、下手でも”歌わない”よりは”歌う”方がお客様にとっては好印象なのではないか、「苦手なのに頑張ってくれてありがとう」って言ってくれる人もいた、なら歌った方がいい、じゃあ楽しまないと、と。
下手でも楽しんでいい
こうしてわたしは歌に限らず、つまらないな苦手だな、と感じれば改善策を練るか、考え方そのものを見直す事にした。大体、嫌だな、って考えてる時間が悲しい。嫌でしかない。嫌に溢れている。ただ、ぜんぶ超楽しくポップになんて難しいから、まずは気が楽になる事を優先して。
音程やリズムが取れない。言葉にしてしまえば単純だけれど、もし音痴じゃなかったら歌うだけでそれなりに周囲に満足してもらえる自分だったら、苦手な事やコンプレックスを変形させて利用しようと思えただろうか。下手でも楽しめる、楽しんでいいことに気づけただろうか。
できれば歌は上手くなりたいけれど、この音痴はわたしに”気づき”をくれた大事な自分の一部で、愛おしかったりもする。
仲良くなったお客様が「じゃあそろそろ歌いますか」とニヤニヤしてマイクを渡してくる姿が大好きだった。
ペンネーム:但馬昏夫
無人島に持って行くなら杉並区。酒と煙草が好き。